「おわらない音楽 小澤征爾」を読む。
○ 小澤征爾さんが2014年1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」が単行本となった。
○ ≪どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の「履歴書」かもしれない。≫という巻頭の小澤征爾さんの言葉通り、小澤征爾さんのサクセス・ストーリーの陰には、決定的な場面で重要な役割を果たした様々な人々との出会いがあった。
これまた小澤征爾さんの誠実な人柄であろう。
○ 両親、兄弟、成城の仲間たち。ピアノを教えた豊増昇を始め、特に重要な人物は桐朋学園の創始者のひとりで小澤征爾さんに指揮を教えた斎藤秀雄氏であることは自明である。
○ 初めて海外へ渡航したとき援助してくれた実業界の人々、ブザンソン指揮者コンクール参加を助けてくれたアメリカ大使館員。師事した偉大な指揮者ミュンシュ、バーンスタイン、そしてカラヤン。
○ 1962年N響の小澤征爾ボイコット事件で、彼が落ち込んでいた時三島由紀夫、浅利慶太、石原慎太郎、井上靖、團伊玖磨、黛敏郎、大江健三郎、一柳慧など錚々たる文化人たちが日比谷公会堂で「小澤征爾の音楽を聴く会」を開いてバックアップしてくれた。
○ ラヴィニア音楽祭に紹介した敏腕マネージャーのウィルフォード。小澤を音楽監督に指名したトロント響、サンフランシスコ響、ボストン響のマネージャーや役員たち。
○ 1992年、小澤征爾の兄貴分とも言えるムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(愛称スラヴァ)の進言でN響の指揮を取り正式の和解が成立した。
○ サイトウ・キネン・オーケストラを支援したスポンサー会社。ウィーン国立歌劇場のホーレンダー総監督などなど。
中でも食道がんの闘病生活の支えとなった家族の力は大きい。これほど周囲の人々に恵まれた音楽家がほかにいるだろうか。
○ 小澤征爾という音楽家の原点は人を引き寄せる魅力ある人間性であることを改めて実感した。
「おわらない音楽」というタイトルは、音楽の怖さ、難しさ、奥の深い魅力を暗示しているように思う。
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