2016年2月23日火曜日

2月23日。NHK 知恵泉先人たちの底力 知恵泉 落としどころの見極め方「小西行長」を見る。 天下人・秀吉を支えた小西行長(1558〜1600)は朝鮮への出兵や禁教政策で秀吉の命令と現実の差に苦悩しつつ、秀吉に盲従せず、難局を打開していった。行長の生涯から、落としどころを見つける知恵を学ぶ。小西行長は戦国交渉名人である。 ○秀吉の天下統一に際し瀬戸内水軍を味方に取り込む。 ○秀吉の宣教師追放令に際しては、貿易の名目で宣教師を保護する。 ○朝鮮出兵に際しては、出来るだけ早く戦争を終了させるため朝鮮側と交渉の極めを尽くす。 それは戦争が長引くと豊臣政権の崩壊を予測したからだ。

2月23日。NHK 知恵泉先人たちの底力 知恵泉 落としどころの見極め方「小西行長」を見る。
天下人・秀吉を支えた小西行長(1558〜1600)は朝鮮への出兵や禁教政策で秀吉の命令と現実の差に苦悩しつつ、秀吉に盲従せず、難局を打開していった。行長の生涯から、落としどころを見つける知恵を学ぶ。小西行長は戦国交渉名人である。
○秀吉の天下統一に際し瀬戸内水軍を味方に取り込む。
○秀吉の宣教師追放令に際しては、貿易の名目で宣教師を保護する。
○朝鮮出兵に際しては、出来るだけ早く戦争を終了させるため朝鮮側と交渉の極めを尽くす。
それは戦争が長引くと豊臣政権の崩壊を予測したからだ。


2月23日。千葉市は晴、13℃。梅と桜が同時に咲いています。今日は私の梅の墨彩ご覧下さい。 ももしきの大宮人は暇(いとま)あれや梅をかざして ここに集へる 山部赤人 万葉集 10〜1883 「かざる」とは髪飾りです。 平安時代には日本人は梅より桜が好きになり新古今集編者は梅を桜に変えましたよ。 ももしきの大宮人は いとまあれや 桜かざして今日も暮らしつ 山部赤人 新古今和歌集

2月23日。千葉市は晴、13℃。梅と桜が同時に咲いています。今日は私の梅の墨彩ご覧下さい。

ももしきの大宮人は暇(いとま)あれや梅をかざして ここに集へる 山部赤人   万葉集 10〜1883
「かざる」とは髪飾りです。

平安時代には日本人は梅より桜が好きになり新古今集編者は梅を桜に変えましたよ。

ももしきの大宮人は いとまあれや 桜かざして今日も暮らしつ  山部赤人 新古今和歌集

2016年2月22日月曜日

2月22日NHKBSプレミアム映画「アラビアのロレンス」を見る。 ○現在の中東の紛争の発端は第1次世界大戦の西欧超大国の戦後処理に深く関わる。 ○イギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンス(1888〜1935)が率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描いた映画である。日本での公開は1963年だ。 私は1963年帝国劇場のロードショーで見てから数え切れないほど見た名画だ。 ○この映画は悲劇映画だ。ロレンスはイギリス陸軍将校でありながらアラブ民族の独立の為にトルコ軍と戦う。イギリスはアラブ民族との約束を破る。ロレンスは祖国イギリスに裏切られる。そして彼の人間性は次第に破壊されていく。帰国後自ら運転するオートバイ事故で46歳で死亡する。 ○1962年イギリス映画。監督デヴィッド・リーン。主演ピーター・オトゥール。助演アレック・ギネス。オマー・シャリフ。ホセ・ファーラー。アンソニー・クイン。

2月22日NHKBSプレミアム映画「アラビアのロレンス」を見る。
○現在の中東の紛争の発端は第1次世界大戦の西欧超大国の戦後処理に深く関わる。
○イギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンス(1888〜1935)が率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描いた映画である。日本での公開は1963年だ。
私は1963年帝国劇場のロードショーで見てから数え切れないほど見た名画だ。
○この映画は悲劇映画だ。ロレンスはイギリス陸軍将校でありながらアラブ民族の独立の為にトルコ軍と戦う。イギリスはアラブ民族との約束を破る。ロレンスは祖国イギリスに裏切られる。そして彼の人間性は次第に破壊されていく。帰国後自ら運転するオートバイ事故で46歳で死亡する。
○1962年イギリス映画。監督デヴィッド・リーン。主演ピーター・オトゥール。助演アレック・ギネス。オマー・シャリフ。ホセ・ファーラー。アンソニー・クイン。

これは「にゃんと面白い」展覧会だな。 大阪市の大丸心斎橋店で、名画の人物を猫に置き換えた「CA TART美術館」が開催中だ。米在住のデザイン画家「Syu Yamamoto」さんの作品を集めた展覧会だ。会期は2月16日〜3月1日 猫のアート CAT ART作品、原画約70点を展示致しています。 特集:ネコ好きのあな 「ニャンニャンニャン」で猫の日(2月22日)に合わせた企画。ダ 色彩、タッチは原画を忠実に再現し、登場人物だけを猫に。違和感のなさに、オリジナルと勘違いする来場者もある。「まさに猫だましみたい」。 作者は山本俊一さん。1948年横浜市鶴見区に生まれる。 欧米人にとってShun-ichiは発音しにくく覚えにくいので、最初の3文字をとってもっぱら「Shu Yamamoto 」の名を使用している。

これは「にゃんと面白い」展覧会だな。
大阪市の大丸心斎橋店で、名画の人物を猫に置き換えた「CA TART美術館」が開催中だ。米在住のデザイン画家「Syu Yamamoto」さんの作品を集めた展覧会だ。会期は2月16日〜3月1日
猫のアート CAT ART作品、原画約70点を展示致しています。
特集:ネコ好きのあな 「ニャンニャンニャン」で猫の日(2月22日)に合わせた企画。ダ 色彩、タッチは原画を忠実に再現し、登場人物だけを猫に。違和感のなさに、オリジナルと勘違いする来場者もある。「まさに猫だましみたい」。
作者は山本俊一さん。1948年横浜市鶴見区に生まれる。
欧米人にとってShun-ichiは発音しにくく覚えにくいので、最初の3文字をとってもっぱら「Shu Yamamoto 」の名を使用している。

「これ、ほんまにお菓子?」お菓子なら食べたいな。 華やかなインコや、にょろりと足を伸ばすタコ等。大阪市中央区の大手前製菓学院専門学校で今春の卒業生が作ったお菓子の作品約120点が並んだ。  チョコなどスイーツの材料を使って腕前を競う。あんや米粉を使った本物そっくりの熊やウサギもあり「これ、ほんまにお菓子?」と声をあげる人も。 来場者の投票で優秀作品を決める。

「これ、ほんまにお菓子?」お菓子なら食べたいな。
華やかなインコや、にょろりと足を伸ばすタコ等。大阪市中央区の大手前製菓学院専門学校で今春の卒業生が作ったお菓子の作品約120点が並んだ。
 チョコなどスイーツの材料を使って腕前を競う。あんや米粉を使った本物そっくりの熊やウサギもあり「これ、ほんまにお菓子?」と声をあげる人も。
来場者の投票で優秀作品を決める。

2016年2月21日日曜日

ある千葉市民がレッサーパンダ、チィチィの石像を千葉市動物公園に贈呈した。 昨年、2015年7月に惜しまれながら12歳で亡くなった千葉市動物公園(千葉市若葉区)のレッサーパンダ、チィチィ(雌)が石像で復活した。ファンの住民が私費を投じてつくり、20日に寄贈式が同園であった。立ち姿で有名な風太の妻で、風太との間に10匹の子を生んだ「良き母」チィチィ。今後は石像として母性を発揮し、動物公園を見守る。  チィチィと、初めての子である長男ユウタ、長女風花の双子の石像3体の寄贈を受け、レッサーパンダ舎の前に設置された。隣には同様に寄贈され2008年に公開された風太石像がある。人気の撮影地点で今後は親子で園を盛り上げる。  寄贈したのは若葉区在住の女性(79歳)だ。風太、チィチィが来園した04~05年以前から毎週足を運んでいた。チィチィの初お目見えの日も来園していた。チィチィを「子どものように思っていた」といい、「みんなに忘れてほしくないと思い」寄贈した。

ある千葉市民がレッサーパンダ、チィチィの石像を千葉市動物公園に贈呈した。
昨年、2015年7月に惜しまれながら12歳で亡くなった千葉市動物公園(千葉市若葉区)のレッサーパンダ、チィチィ(雌)が石像で復活した。ファンの住民が私費を投じてつくり、20日に寄贈式が同園であった。立ち姿で有名な風太の妻で、風太との間に10匹の子を生んだ「良き母」チィチィ。今後は石像として母性を発揮し、動物公園を見守る。
 チィチィと、初めての子である長男ユウタ、長女風花の双子の石像3体の寄贈を受け、レッサーパンダ舎の前に設置された。隣には同様に寄贈され2008年に公開された風太石像がある。人気の撮影地点で今後は親子で園を盛り上げる。
 寄贈したのは若葉区在住の女性(79歳)だ。風太、チィチィが来園した04~05年以前から毎週足を運んでいた。チィチィの初お目見えの日も来園していた。チィチィを「子どものように思っていた」といい、「みんなに忘れてほしくないと思い」寄贈した。

2月21日、NHK日曜美術館 「民家巡礼〜向井潤吉の戦後〜」を見ました。 敗戦直後から亡くなるまで、滅びゆく民家のわら屋根を、ひたすら描き続けた画家がいる。 向井潤吉の絵は単なる写生ではない。彼は心に残る映像を絵として残した。 向井潤吉(1901~1995)。描いた民家の絵は、北海道から鹿児島まで全国津々浦々、あわせて2千点を越える。向井の民家は、自然とともに暮らしてきた日本人の原風景として、多くの人々に郷愁を呼び起こしてきた。しかし同時に、それらの絵は、戦後復興から高度成長を経て日本の農村が激変する姿を、民家を通して記録することにもなった。 養蚕の衰退や出稼ぎなどによる農村の伝統的な暮らしの変貌。ダムや高速道路の建設に伴う離村や廃村。向井は、消えゆく民家に追い立てられるようにして、全国の民家を訪ね歩いた。番組では、岐阜県白川郷、山形県の田麦俣など、向井が熱心に通いつめたいくつかの地域を中心に、郷愁あふれる民家の絵を描いた。

2月21日、NHK日曜美術館 「民家巡礼〜向井潤吉の戦後〜」を見ました。
敗戦直後から亡くなるまで、滅びゆく民家のわら屋根を、ひたすら描き続けた画家がいる。
向井潤吉の絵は単なる写生ではない。彼は心に残る映像を絵として残した。
向井潤吉(1901~1995)。描いた民家の絵は、北海道から鹿児島まで全国津々浦々、あわせて2千点を越える。向井の民家は、自然とともに暮らしてきた日本人の原風景として、多くの人々に郷愁を呼び起こしてきた。しかし同時に、それらの絵は、戦後復興から高度成長を経て日本の農村が激変する姿を、民家を通して記録することにもなった。
養蚕の衰退や出稼ぎなどによる農村の伝統的な暮らしの変貌。ダムや高速道路の建設に伴う離村や廃村。向井は、消えゆく民家に追い立てられるようにして、全国の民家を訪ね歩いた。番組では、岐阜県白川郷、山形県の田麦俣など、向井が熱心に通いつめたいくつかの地域を中心に、郷愁あふれる民家の絵を描いた。