『ユダとは誰か 原始キリスト教と「ユダの福音書」の中のユダ 荒井献』を読む。
成立しつつあるキリスト教にとって,イエスを裏切ったユダは「負の遺産」であった。もちろんキリスト教はユダを,一方において「悪魔」化しつつ,他方において彼の「引き渡し」もまた神の「定め」として,神学的に自らのうちに取り込んでいく。しかし,このような「取り込み」が強調されればされるほど,ユダの「負的」史実性は確実なものになると言えよう。
ユダはイエスの直弟子の一人であったが,何らかの理由で師をユダヤの宗教的指導者たちに「引き渡した」.ユダの裏切りを知ったイエスは,「呪う」ほどに彼を憎悪した。しかしイエスは,そのような「敵」をも受容して十字架死を遂げた。復活のイエスが「十二人に現れた」という伝承から推定して,ユダがイエスの死後,弟子たちと共に顕現体験に与った可能性はあろう
イエスの死刑確定後にユダが不自然死を遂げたという伝承や,彼の死を裏切りの「罪」に対する神の裁きとみなす見解が成立したのは,成立しつつある正統的教会が,ユダの「罪」を赦さず,自らの「罪」をも彼に負わせて,彼を教会から追放しようとした結果ではないか。
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