「カクレキリシタンの実像 宮崎賢太郎」読む。
日本おける仏教は釈迦の説いた仏教と異なる。釈迦は人生如何に生きるかを説いた。釈迦は死後につては何も語らなかった。私の住んでいる千葉市美浜区では僧は全て葬儀社と提携している。
同じようにカクレキリシタンはキリストの説いた一神教と大きく異なる。当然だ。当時聖書は宣教師しか読めないラテン語聖書しかなかった。ヨーロッパの宣教師たちはキリスト教の神を「大日如来」と訳した。また宣教師は「西域の僧」と呼ばれた。
私は宗教は癒しであるから民族宗教はむしろ歓迎する。
○著者川崎賢太郎は正統派のカトリック信者である。今も異国情緒が残る長崎に、浦上の復活キリシタンとつながる末裔として生まれ、典型的な長崎のカトリック信者である。彼は長年にわたる長崎県各地の丹念な現地調査により、このイメージに疑問を投げかけた。私は疑問は全くありません。
「カクレキリシタン」が今日まで大切に伝えてきたものは本当にキリスト教だったのか。彼らが370年余り祈り続けてきたものが本当は何だったのか。著者は日本民衆のキリスト教受容の実像は民族宗教であったと考える。学者は理解が遅いな。私は前から民族宗教だと思っています。
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