2016年7月3日日曜日

吉田凪(ヨシダナギ)さん(28)美人なのに全裸で撮影するフォトグラファー。 吉田凪さんのお言葉「私のなかではシンデレラのコスプレをすることと同義なんです。」 日本では卒倒する方が多く救急車が多数必要ですからどうぞアフリカでお願い申し上げます。 アフリカ・エチオピアで服を脱ぎ捨て、現地の少数民族「スリ族」の女性と同じ上半身裸の格好になって写真を撮影するなど、その大胆な姿が話題を呼んでいるフォトグラファー、ヨシダナギ。先月には初の単行本『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』を上梓し、次なる活動に注目が集まっている。“裸の美人写真家”“全裸フォトグラファー”と呼ばれている彼女だが、そもそもなぜアフリカを目指したのか。 「アフリカ人が好きなんです。私、アフリカの景色とか別に興味がなくて、アフリカ人のあのフォルムや姿に小さい頃から惹かれていて。いまだに自分でも理由はよくわからないんですよ。周囲にアフリカ人がいたわけでもないし。同い歳の友だちが仮面ライダーやセーラームーンになりたいって憧れるのとまったく同じ感覚というか。その意味で、裸になって彼らと同じ格好をするというのも、私のなかではシンデレラのコスプレをすることと同義なんです」

吉田凪(ヨシダナギ)さん(28)美人なのに全裸で撮影するフォトグラファー。
吉田凪さんのお言葉「私のなかではシンデレラのコスプレをすることと同義なんです。」
日本では卒倒する方が多く救急車が多数必要ですからどうぞアフリカでお願い申し上げます。
アフリカ・エチオピアで服を脱ぎ捨て、現地の少数民族「スリ族」の女性と同じ上半身裸の格好になって写真を撮影するなど、その大胆な姿が話題を呼んでいるフォトグラファー、ヨシダナギ。先月には初の単行本『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』を上梓し、次なる活動に注目が集まっている。“裸の美人写真家”“全裸フォトグラファー”と呼ばれている彼女だが、そもそもなぜアフリカを目指したのか。
「アフリカ人が好きなんです。私、アフリカの景色とか別に興味がなくて、アフリカ人のあのフォルムや姿に小さい頃から惹かれていて。いまだに自分でも理由はよくわからないんですよ。周囲にアフリカ人がいたわけでもないし。同い歳の友だちが仮面ライダーやセーラームーンになりたいって憧れるのとまったく同じ感覚というか。その意味で、裸になって彼らと同じ格好をするというのも、私のなかではシンデレラのコスプレをすることと同義なんです」

皆さま象鼻杯(ぞうびはい)ご存知ですか。本で読んだ、写真で見た方もおられますね。私は実際に見ましたよ。美酒を大賀蓮の葉でお酒を頂く楽しむ「象鼻杯」今年は6月26日で終了。行っていない方は来年を期待下さいね。 約2000年前の種から咲いた古代蓮(大賀蓮)で「象鼻杯」を満喫できるイベントが千葉公園でが初登場したんです。 飲んで楽しむ「象鼻杯」は、蓮の茎をストロー代わりにして日本酒「蓮池」を頂きま〜す。  「象鼻杯」とは、中国古代の消夏飲酒法で、魏の時代に山東省で行われたのが起源と言われています。つまり2200年以上の歴史があるということです。  具体的には、蓮の葉にお酒を注いで、その葉の中心に穴をあけて茎と通じさせ、その茎を象が鼻を上げたように曲げて先端から酒を吸うと言う優雅な催しです。

皆さま象鼻杯(ぞうびはい)ご存知ですか。本で読んだ、写真で見た方もおられますね。私は実際に見ましたよ。美酒を大賀蓮の葉でお酒を頂く楽しむ「象鼻杯」今年は6月26日で終了。行っていない方は来年を期待下さいね。
約2000年前の種から咲いた古代蓮(大賀蓮)で「象鼻杯」を満喫できるイベントが千葉公園でが初登場したんです。 飲んで楽しむ「象鼻杯」は、蓮の茎をストロー代わりにして日本酒「蓮池」を頂きま〜す。
 「象鼻杯」とは、中国古代の消夏飲酒法で、魏の時代に山東省で行われたのが起源と言われています。つまり2200年以上の歴史があるということです。
 具体的には、蓮の葉にお酒を注いで、その葉の中心に穴をあけて茎と通じさせ、その茎を象が鼻を上げたように曲げて先端から酒を吸うと言う優雅な催しです。

7月3日(日)お早うございます。千葉は晴れ30℃予報です。 昨日マリンピア別館3階に行き「参議院選挙」期日前投票をしました。 私は太平洋戦争の悲惨さを経験しています。日本の平和を心から願っています。 近くの公園に黄菅(キスゲ)が咲きました。花言葉「麗しき姿」 July 3 (Sunday) Good morning. Chiba is a sunny 30 ℃ on the forecast. Yesterday I went to Marinepia annex third floor . So I finished "the House of Councilors election" early voting. I have experienced the horrors of World War II. I sincerely hope the peace of Japan. Kisuga (Hemerocallis) has bloomed in the vicinity park. The language of flowers "beautiful lady"

7月3日(日)お早うございます。千葉は晴れ30℃予報です。
昨日マリンピア別館3階に行き「参議院選挙」期日前投票をしました。
私は太平洋戦争の悲惨さを経験しています。日本の平和を心から願っています。
近くの公園に黄菅(キスゲ)が咲きました。花言葉「麗しき姿」

July 3 (Sunday) Good morning. Chiba is a sunny 30 ℃ on the forecast.
Yesterday  I went to Marinepia annex third floor .  So I finished "the House of Councilors election" early voting.
I have experienced the horrors of World War II. I sincerely hope the peace of Japan.
Kisuga (Hemerocallis) has bloomed in the vicinity  park. The language of flowers "beautiful lady"

2016年7月2日土曜日

7月1日NHKBSプレミアム「新日本風土記・奥の細道」を見る。 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」「風流の初(はじめ)やおくの田植唄 」「夏草や兵(つわども)どもが夢の跡」「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」「五月雨をあつめて早し最上川」「雲の峰幾つ崩れて月の山」 みちのくの人々は2011年3月11日の東日本大震災の地震、津波、福島原発炉心融解の痛手から立ち上がろうとしてしている。 松尾芭蕉が記した紀行文集の集大成「奥の細道」は、今も東北を語る上で欠かせない旅のバイブルのひとつ。 1689年弟子の河合曾良を伴い、老体に鞭をうって約150日間に渡り東北・北陸を旅した芭蕉。美しい自然や文化・風土に出会い、辿り着いた境地は「不易流行」。変わっていくものと変わらないものは不即不離の関係にある、という考えだ。 東日本大震災で、甚大な被害を受けた東北にも、変わったもの、そして320年の時を越え今もなお変わらないものが共存している。 江戸時代の「田植え唄」を歌い継ぐ須賀川の農婦たち。津波で多くの人と街を失った石巻の地で出される「鎮魂の御輿」。芭蕉が愛でた紅の花が夏を彩る「尾花沢」。芭蕉の句に心揺さぶられた男性が、奥の細道を追体験する「馬旅」。嵐の中、亡くなった人を思い、死と再生の祈りを捧げる人が集まる霊山「月山」。 老いと死を覚悟しつつも過酷な旅に挑み、傑作を誕生させた芭蕉。「奥の細道」を道しるべに、今再び、東北の魅力を再発見する。

7月1日NHKBSプレミアム「新日本風土記・奥の細道」を見る。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」「風流の初(はじめ)やおくの田植唄  」「夏草や兵(つわども)どもが夢の跡」「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」「五月雨をあつめて早し最上川」「雲の峰幾つ崩れて月の山」
みちのくの人々は2011年3月11日の東日本大震災の地震、津波、福島原発炉心融解の痛手から立ち上がろうとしてしている。
松尾芭蕉が記した紀行文集の集大成「奥の細道」は、今も東北を語る上で欠かせない旅のバイブルのひとつ。
1689年弟子の河合曾良を伴い、老体に鞭をうって約150日間に渡り東北・北陸を旅した芭蕉。美しい自然や文化・風土に出会い、辿り着いた境地は「不易流行」。変わっていくものと変わらないものは不即不離の関係にある、という考えだ。
東日本大震災で、甚大な被害を受けた東北にも、変わったもの、そして320年の時を越え今もなお変わらないものが共存している。
江戸時代の「田植え唄」を歌い継ぐ須賀川の農婦たち。津波で多くの人と街を失った石巻の地で出される「鎮魂の御輿」。芭蕉が愛でた紅の花が夏を彩る「尾花沢」。芭蕉の句に心揺さぶられた男性が、奥の細道を追体験する「馬旅」。嵐の中、亡くなった人を思い、死と再生の祈りを捧げる人が集まる霊山「月山」。
老いと死を覚悟しつつも過酷な旅に挑み、傑作を誕生させた芭蕉。「奥の細道」を道しるべに、今再び、東北の魅力を再発見する。

石田三成の重臣「島左近」(1540〜1600)の書状2通発見、島左近は外交官だった。 島左近が記した、戦国大名佐竹義宣の重臣小貫氏宛ての書状 戦国武将、石田三成の腹心だった島左近が記した書状2通が初めて見つかり、東京大史料編纂所と長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市)が1日までに発表した。  豊臣秀吉が「三成に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」と評価するほどの人物だったが関係史料は少なく、同博物館の太田浩司館長は「島左近の動向や実像に迫ることができる画期的な発見」と話している。  2通は、いずれも天正18(1590)年7月に書かれていた。秀吉が小田原北条氏を滅ぼした後に、秀吉に従うことになった常陸(茨城県)の戦国大名佐竹氏との交渉に島が当たっていたことが分かるという。

石田三成の重臣「島左近」(1540〜1600)の書状2通発見、島左近は外交官だった。
島左近が記した、戦国大名佐竹義宣の重臣小貫氏宛ての書状 戦国武将、石田三成の腹心だった島左近が記した書状2通が初めて見つかり、東京大史料編纂所と長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市)が1日までに発表した。
 豊臣秀吉が「三成に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」と評価するほどの人物だったが関係史料は少なく、同博物館の太田浩司館長は「島左近の動向や実像に迫ることができる画期的な発見」と話している。
 2通は、いずれも天正18(1590)年7月に書かれていた。秀吉が小田原北条氏を滅ぼした後に、秀吉に従うことになった常陸(茨城県)の戦国大名佐竹氏との交渉に島が当たっていたことが分かるという。

7月1日BSプレミアム『招かれざる客』(Guess Who's Coming to Dinner)は、1967年アメリカ映画。黒人青年と白人女性の結婚を巡る双方の家族の葛藤を描く映画だ。 私は前にも見たがまた見る。3人のアカデミー主演賞の名優、スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘプバーン、シドニー・ポワチエを揃えた素晴らしい映画だ。 黒人の医者と白人の箱入り娘が恋に落ちる。父親は白人の娘が黒人の青年の結婚に深い困惑やがて許しを与える。 この時代アメリカでは黒人をニグロと呼んでいた。ポワチエの会話の中に将来の黒人大統領の可能性を語る。 映画公開を前に亡くなったスペンサー・トレイシーの遺作でもある。 キャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーは実生活でも事実上のパートナーであった。

7月1日BSプレミアム『招かれざる客』(Guess Who's Coming to Dinner)は、1967年アメリカ映画。黒人青年と白人女性の結婚を巡る双方の家族の葛藤を描く映画だ。
私は前にも見たがまた見る。3人のアカデミー主演賞の名優、スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘプバーン、シドニー・ポワチエを揃えた素晴らしい映画だ。
黒人の医者と白人の箱入り娘が恋に落ちる。父親は白人の娘が黒人の青年の結婚に深い困惑やがて許しを与える。
この時代アメリカでは黒人をニグロと呼んでいた。ポワチエの会話の中に将来の黒人大統領の可能性を語る。
映画公開を前に亡くなったスペンサー・トレイシーの遺作でもある。
キャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーは実生活でも事実上のパートナーであった。

2016年7月1日金曜日

6月30日NHKBSプレミアム英雄たちの選択「政権誕生の地・なぜ家康は選んだか」を見る。 徳川家康は日本の中心として「江戸〜東京」に400年以上政治的首都となる土地を選んだ。 だが家康が入国した当時の江戸は関東の空白地帯であり、沼地ばかりの寒村に過ぎなかった。 家康はそんな江戸に城を築き、徳川将軍3代47年の歳月をかけて都市機能を完成させた。 家康が東海5か国から関東8か国に移封されたのは、天正18年(1590年)の小田原合戦の時。関白・豊臣秀吉に命じられたのが契機とされる。 実はこの時、新たな領国支配の拠点として家康には3つの選択肢があった。ひとつは関東の覇者・後北条氏の居城「小田原」をそのまま拠点とするか、あるいは鎌倉時代以降「武家の古都」として完成されていた「鎌倉」か、それとも田舎町に過ぎない「江戸」か。他の2つの候補地に比べ、圧倒的に不利な条件の江戸の選地であるが、近年の研究によれば、当時の江戸は単なる寒村ではなく、太平洋海運の湊としての機能がある。家康が江戸を選んだのは、未だ開発されていない関東地方の将来性と海運に未来を展望したからである。

6月30日NHKBSプレミアム英雄たちの選択「政権誕生の地・なぜ家康は選んだか」を見る。
徳川家康は日本の中心として「江戸〜東京」に400年以上政治的首都となる土地を選んだ。
だが家康が入国した当時の江戸は関東の空白地帯であり、沼地ばかりの寒村に過ぎなかった。
家康はそんな江戸に城を築き、徳川将軍3代47年の歳月をかけて都市機能を完成させた。
家康が東海5か国から関東8か国に移封されたのは、天正18年(1590年)の小田原合戦の時。関白・豊臣秀吉に命じられたのが契機とされる。
実はこの時、新たな領国支配の拠点として家康には3つの選択肢があった。ひとつは関東の覇者・後北条氏の居城「小田原」をそのまま拠点とするか、あるいは鎌倉時代以降「武家の古都」として完成されていた「鎌倉」か、それとも田舎町に過ぎない「江戸」か。他の2つの候補地に比べ、圧倒的に不利な条件の江戸の選地であるが、近年の研究によれば、当時の江戸は単なる寒村ではなく、太平洋海運の湊としての機能がある。家康が江戸を選んだのは、未だ開発されていない関東地方の将来性と海運に未来を展望したからである。