国際連盟から脱退・1933年2月24日
全権大使の松岡洋右は外交官として日本が世界から孤立すべきで無いと考えていた。日本の将来を思い国際連盟に止まるべきと考え奮励努力する。イギリスも松岡洋右に協力的であった。しかし日本軍は国際連盟開催中1933年2月23日に中国熱河作戦を実施する。松岡洋右は窮地に落ちる。1933年2月24日、日本は国際連盟を脱退する。帰国後松岡洋右は外交の失敗と述べ国民に謝罪した。
○日本軍将校が謀略で起こした満州事変、国際連盟脱退。日中戦争。ナチスドイツ、ファッシストイタリアと3国同盟、太平洋戦争、敗戦と繋がる。
○日本は、大正9年(1920)に創設された国際連盟の常任理事国であったが、満州事変を契機 に脱退することになる。昭和8年(1933)2月24日の国際連盟総会では、中国の統治権 を承認し、日本軍の撤退を求める報告案に対して、賛成42、反対1、棄権1という形で、各 国の意思が示された。反対票を投じた松岡洋右ほか日本代表団は議場から退場。日本 は国際連盟から脱退した。
○当時の日本は日本陸軍の支配する国家であった。陸軍は謀略の満州事変の延長として熱河作戦を準備してお り、これが経済制裁に繋がるのは確実な情勢であった。 ならば熱河作戦を中止すればよかった。日本陸軍の謀略戦争がやがて太平洋戦争の敗北に繋がる。
○1945年8月ソ連参戦を知るや満州にいた陸軍高級将校は部下、満州国皇帝一家を見捨て飛行機で日本に逃亡する。
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