「放哉と山頭火 渡辺利夫」を読む。
尾崎放哉と種田山頭火は敗残の人生の哀憾を詠嘆する。
こんなよい月を一人で見て寝る 放哉
咳しても一人 放哉
分け入つても分け入つても青い山 山頭火
鉄鉢の中へも霰 山頭火
俳句が国際的な短形詩であるとすれば「放哉と山頭火」はもっと認めて良いと思う。芭蕉でさえ無季俳句を作っている。今の日本俳句界は「有季定型」に押さえ込まれ矮小化していないか。少しは「有季定型」からはみ出す事を 許容しては良いのでないか。
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