2016年4月14日木曜日

4月14日NHKプレミアム英雄たちの選択「明治のトップレデイ」見る。 武士の娘、明治の貴婦人は凄い。外国語をマスターし、今まで着た事のないドレスを着こなし外国人と対等に渡りあった。その代表は「井上武子、写真左」「陸奥亮子、写真右」だ。 ○明治政府の最大の課題は、幕府が列強と結んでいた不平等条約の改正。そのため、外務大臣井上馨は、鹿鳴館外交を展開する。それを支えたのが、井上馨の妻・井上武子(1850〜1920)だ。外国人も一目置く、彼女の“洋装ファッション”。彼女は手動ミシンを操り自分に似合うドレスを作り着こなした。 ○鹿鳴館の華”といわれた井上武子は明治9年夫とともにヨーロッパに渡り、西洋式社交術を修得。その他にも福沢諭吉の愛弟子・中上川彦次郎から英語を学び、社交界に必要不可欠な文学・料理・ファンション・テーブルマナーなどの知識も吸収した。帰国後、外務卿となって欧化政策を進めた夫を助け、鹿鳴館での舞踏会や仮装会・慈善バザーを主催し、日本社交界の華として活躍。欧化政策の破綻後は、家庭人として夫を支えた。 ○そして、このたび写真が発見され、その美貌と教養で“ワシントン社交界の華”といわれる陸奥亮子 (1856〜 1900)。明治21年(1888年)、駐米公使となった陸奥宗光とともに渡米する。その美貌、個人的魅力、話術によって第一等の貴婦人と謳われ「ワシントン社交界の華」「駐米日本公使館の華」と称された。陸奥亮子は駐米して、夫を支えて、完全な英語を学び完全に英語を話すようになった。やがて日本文学を英訳し社交界で紹介する。

4月14日NHKプレミアム英雄たちの選択「明治のトップレデイ」見る。
武士の娘、明治の貴婦人は凄い。外国語をマスターし、今まで着た事のないドレスを着こなし外国人と対等に渡りあった。その代表は「井上武子、写真左」「陸奥亮子、写真右」だ。
○明治政府の最大の課題は、幕府が列強と結んでいた不平等条約の改正。そのため、外務大臣井上馨は、鹿鳴館外交を展開する。それを支えたのが、井上馨の妻・井上武子(1850〜1920)だ。外国人も一目置く、彼女の“洋装ファッション”。彼女は手動ミシンを操り自分に似合うドレスを作り着こなした。
○鹿鳴館の華”といわれた井上武子は明治9年夫とともにヨーロッパに渡り、西洋式社交術を修得。その他にも福沢諭吉の愛弟子・中上川彦次郎から英語を学び、社交界に必要不可欠な文学・料理・ファンション・テーブルマナーなどの知識も吸収した。帰国後、外務卿となって欧化政策を進めた夫を助け、鹿鳴館での舞踏会や仮装会・慈善バザーを主催し、日本社交界の華として活躍。欧化政策の破綻後は、家庭人として夫を支えた。
○そして、このたび写真が発見され、その美貌と教養で“ワシントン社交界の華”といわれる陸奥亮子 (1856〜 1900)。明治21年(1888年)、駐米公使となった陸奥宗光とともに渡米する。その美貌、個人的魅力、話術によって第一等の貴婦人と謳われ「ワシントン社交界の華」「駐米日本公使館の華」と称された。陸奥亮子は駐米して、夫を支えて、完全な英語を学び完全に英語を話すようになった。やがて日本文学を英訳し社交界で紹介する。

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