2016年4月3日日曜日

4月2日ETV特集「忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦 “満州難民”を描く~」 画家諏訪敦の絵は写実を越え鬼気迫る。会ったことも無い満州の凍土で死亡した祖母も無念を描く。これぞ鎮魂の絵だ。国策の満蒙開拓団は実は棄民だった。陸軍関東軍は開拓団棄て逃げ去る。高級将校は真っ先に飛行機で日本に逃げた。 この冬、祖母の肖像に取り組んだ画家がいる。諏訪敦(すわ・あつし)48歳。祖母は、彼が生まれる20年以上も前の終戦直後に、旧満州、現在の中国東北部で亡くなっていた。31歳の若さだった。そのことを知るきっかけとなったのは、17年前に亡くなった父が最期に残した手記だった。そこには、終戦の年、昭和20(1945)年の春に一家が満蒙開拓団として満州にわたり、3か月あまりでソ連軍の侵攻にあい、逃亡し、たどり着いたハルビンの難民収容所で飢餓と伝染病に苦しんだ惨状がつづられていた。その年の冬、諏訪の祖母と叔父は亡くなった。父の手記は無念と怒りをあらわにして終わっていた。 それまで諏訪にとって、満州のこともそこで亡くなった日本人のことも遠い存在だった。諏訪は画家として、父の無念や怒りを受け止め、「忘れられた人々」のことを絵にしなければと、戦後70年の昨年、動き出す。満蒙開拓団にいた人々を訪ね、話を聞き、父の一家を知る人を探し出し、中国東北部を旅してその足跡をたどった。 なぜ彼らは満州にわたったのか?そこでどんな生活をしたのか?なぜ祖母は死ななければならなかったのか?取材で明らかになった事実をもとに、2か月あまりにわたるキャンバスとの格闘が始まった。諏訪の旅と創作の過程に密着し、祖母の肖像に込めた思いを描く

4月2日ETV特集「忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦 “満州難民”を描く~」
画家諏訪敦の絵は写実を越え鬼気迫る。会ったことも無い満州の凍土で死亡した祖母も無念を描く。これぞ鎮魂の絵だ。国策の満蒙開拓団は実は棄民だった。陸軍関東軍は開拓団棄て逃げ去る。高級将校は真っ先に飛行機で日本に逃げた。
この冬、祖母の肖像に取り組んだ画家がいる。諏訪敦(すわ・あつし)48歳。祖母は、彼が生まれる20年以上も前の終戦直後に、旧満州、現在の中国東北部で亡くなっていた。31歳の若さだった。そのことを知るきっかけとなったのは、17年前に亡くなった父が最期に残した手記だった。そこには、終戦の年、昭和20(1945)年の春に一家が満蒙開拓団として満州にわたり、3か月あまりでソ連軍の侵攻にあい、逃亡し、たどり着いたハルビンの難民収容所で飢餓と伝染病に苦しんだ惨状がつづられていた。その年の冬、諏訪の祖母と叔父は亡くなった。父の手記は無念と怒りをあらわにして終わっていた。
それまで諏訪にとって、満州のこともそこで亡くなった日本人のことも遠い存在だった。諏訪は画家として、父の無念や怒りを受け止め、「忘れられた人々」のことを絵にしなければと、戦後70年の昨年、動き出す。満蒙開拓団にいた人々を訪ね、話を聞き、父の一家を知る人を探し出し、中国東北部を旅してその足跡をたどった。
なぜ彼らは満州にわたったのか?そこでどんな生活をしたのか?なぜ祖母は死ななければならなかったのか?取材で明らかになった事実をもとに、2か月あまりにわたるキャンバスとの格闘が始まった。諏訪の旅と創作の過程に密着し、祖母の肖像に込めた思いを描く

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