「涙の川を渉るとき 遠藤実自伝」を読む。
この本は遠藤実の遺言書である。遠藤実はこの本を書いた翌年に他界した。
1945年日本は太平洋戦争に敗北、私達は貧困と絶望のどん底だった。飢えて死ぬ人も多くいた。こんなにも貧しい日々を生きた少年がいた。遠藤実(1932 〜2008)だ。
貧しさに挫けず夢を抱き続けた遠藤実だった。心の歌は彼の掌の中で温められた小さな希望から生まれた。「からたち日記」から「北国の春」まで遠藤メロディーの水脈を辿る旅。
舟木一夫の歌う「高校三年生」の作曲家遠藤実は貧乏で高校行けなかった。少年時代の遠藤実の貧乏生活は想像を絶する。14歳で紡績工場に就職するも、歌の好きな彼は地方に来た楽団に入団し、星幸男として歌手デビュー。しかし楽団もすぐに解散し、その後は日雇い仕事やら門付け芸人の放浪芸、農家の年季奉公と極貧生活がつづく。だが歌手になりたくて17歳の時、家族に黙って東京へと出奔する。
東京では「流しのえんちゃん」として売れない流しの歌手生活。その間オーディションを受けるもことごとく落ちる。あるとき審査会場からきり忘れたマイクを通して声がする。「あんな汚い格好で、しかもあの顔で歌手になれると思っているのかね」。レコード会社の連中は見てくれで判断していたのか。よし、歌手は諦める。作曲家になると決意。だが楽譜が読めないし書けない。そのためギターで1音1音確かめながら血のにじむような努力でマスターした。
作曲家としての初ヒットは「お月さん今晩わ」。その後島倉千代子の「からたち日記」、こまどり姉妹の「三味線姉妹」と続く。舟木一夫の「高校三年生」を作曲した時のようすはこんなふうだ。
「赤い夕日が校舎を染めて ニレの木陰に弾む声」
遠藤実は歌詞を読んだ途端、貧乏ゆえに中学に行けなかった自分のことが思い出された。日東紡績で見習工をしながら通信教育用の中学校教科書を買い、校章に似た付録のバッジを防止につけて悔しさを紛らわせていた日々。もし中学、高校と進めていたら、どんな青春が待っていたのだろう。思いつくままにワルツ風の旋律を譜面に落としてみた。いや少し違う。…そこでマーチ風の旋律に書き換えた。そうだ軽快で明るい方がいい。遠藤自身の「失われた青春」に対する哀愁であった。
あとがきでこう書いている。「本書のタイトルを『涙の川を渉るとき』としたのは、遠藤実の人生は音楽を心の支えにして夥しい涙の川を越える旅であった。遠藤実にとって涙は人生の友であった」。本書を読むと、まさに「涙の人生、涙を友に」の苦労人生であったことがよくわかる。本書の出版が2007年。翌2008年、遠藤実は76歳で逝去している。
2016年4月8日金曜日
「涙の川を渉るとき 遠藤実自伝」を読む。 この本は遠藤実の遺言書である。遠藤実はこの本を書いた翌年に他界した。 1945年日本は太平洋戦争に敗北、私達は貧困と絶望のどん底だった。飢えて死ぬ人も多くいた。こんなにも貧しい日々を生きた少年がいた。遠藤実(1932 〜2008)だ。 貧しさに挫けず夢を抱き続けた遠藤実だった。心の歌は彼の掌の中で温められた小さな希望から生まれた。「からたち日記」から「北国の春」まで遠藤メロディーの水脈を辿る旅。 舟木一夫の歌う「高校三年生」の作曲家遠藤実は貧乏で高校行けなかった。少年時代の遠藤実の貧乏生活は想像を絶する。14歳で紡績工場に就職するも、歌の好きな彼は地方に来た楽団に入団し、星幸男として歌手デビュー。しかし楽団もすぐに解散し、その後は日雇い仕事やら門付け芸人の放浪芸、農家の年季奉公と極貧生活がつづく。だが歌手になりたくて17歳の時、家族に黙って東京へと出奔する。 東京では「流しのえんちゃん」として売れない流しの歌手生活。その間オーディションを受けるもことごとく落ちる。あるとき審査会場からきり忘れたマイクを通して声がする。「あんな汚い格好で、しかもあの顔で歌手になれると思っているのかね」。レコード会社の連中は見てくれで判断していたのか。よし、歌手は諦める。作曲家になると決意。だが楽譜が読めないし書けない。そのためギターで1音1音確かめながら血のにじむような努力でマスターした。 作曲家としての初ヒットは「お月さん今晩わ」。その後島倉千代子の「からたち日記」、こまどり姉妹の「三味線姉妹」と続く。舟木一夫の「高校三年生」を作曲した時のようすはこんなふうだ。 「赤い夕日が校舎を染めて ニレの木陰に弾む声」 遠藤実は歌詞を読んだ途端、貧乏ゆえに中学に行けなかった自分のことが思い出された。日東紡績で見習工をしながら通信教育用の中学校教科書を買い、校章に似た付録のバッジを防止につけて悔しさを紛らわせていた日々。もし中学、高校と進めていたら、どんな青春が待っていたのだろう。思いつくままにワルツ風の旋律を譜面に落としてみた。いや少し違う。…そこでマーチ風の旋律に書き換えた。そうだ軽快で明るい方がいい。遠藤自身の「失われた青春」に対する哀愁であった。 あとがきでこう書いている。「本書のタイトルを『涙の川を渉るとき』としたのは、遠藤実の人生は音楽を心の支えにして夥しい涙の川を越える旅であった。遠藤実にとって涙は人生の友であった」。本書を読むと、まさに「涙の人生、涙を友に」の苦労人生であったことがよくわかる。本書の出版が2007年。翌2008年、遠藤実は76歳で逝去している。
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