2016年4月1日金曜日

「トットちゃんトットちゃんたち 黒柳徹子」を読む。 この本の序文を読み、これ以上自分の感想文を書けなくなった。 著者 黒柳徹子さんの序文。 私は小さいとき、トットちゃんと呼ばれていました。初めて、ユニセフの親善大使になってタンザニアに行ったとき、スワヒリ語で、子どものことを「トット」というのを知りました。 こんな偶然があるでしょうか。私の小さいときの呼び名が、アフリカでは、「子ども」という意味だなんて。 ☆神様は、こんなにも、子どもを純粋におつくりになった。ルワンダで、百万人もの人たちが殺された。小さな子どもたちは、虐殺の行われている悲鳴や、絶叫など断末魔の声の間をすり抜けて逃げた。両親を、姉を、兄を、見ている前で殺された子どもたちは、そして理由(わけ)もわからず、大人たちに、まじって逃げた。 助かった小さな子どもたちは、みんな、小さな胸を痛めていた。それは、家族が殺された理由を、”自分のせい”と思っていたからだった。 (僕が、お母さんに「やっちゃいけません」といわれたことを、やったから、お母さんは殺されたんだ)(私が、何か、いけないことを、やったに違いない) 本当は、フツ族をツチ族の争いなんだけど、そんなことを、小さな子どもたちは、わからないから、みんな、自分を責めている。 このとき、何百万、という人びとが難民となった。難民キャンプでコレラが、はやり、毎日、何千人という大人や子どもが死んでいった。道ばたで、コレラで死んだ母親のそばで、小さな女の子が、黙って、すわっていた。 この子は、こう思っていた。(ママが死んだのは、私のせいなの。私を助けようとして、ママは死んだの。こんなふうに、子どもは、みんな、自分のせいだと、自分を責めていた。 私は、これまで、こんなことを知らなかった。純粋なものは、こんなふうに、自分がやったのじゃないことでも、自分でやったのだと、と思うものだ、ということを。 子どものことを、少しでもわかっているように思っていた自分が、なさけなかった。 いま、日本で起こっている、いろいろなことで、(私が、いけなかったんです)という大人は、いないように見える。みんな、昔は、こんなに純粋な子どもだったのに。私は、この小さな子どもたちが、教えてくれたことを、忘れない大人でいよう、思っている。

「トットちゃんトットちゃんたち    黒柳徹子」を読む。
この本の序文を読み、これ以上自分の感想文を書けなくなった。
著者 黒柳徹子さんの序文。
私は小さいとき、トットちゃんと呼ばれていました。初めて、ユニセフの親善大使になってタンザニアに行ったとき、スワヒリ語で、子どものことを「トット」というのを知りました。
こんな偶然があるでしょうか。私の小さいときの呼び名が、アフリカでは、「子ども」という意味だなんて。
☆神様は、こんなにも、子どもを純粋におつくりになった。ルワンダで、百万人もの人たちが殺された。小さな子どもたちは、虐殺の行われている悲鳴や、絶叫など断末魔の声の間をすり抜けて逃げた。両親を、姉を、兄を、見ている前で殺された子どもたちは、そして理由(わけ)もわからず、大人たちに、まじって逃げた。
助かった小さな子どもたちは、みんな、小さな胸を痛めていた。それは、家族が殺された理由を、”自分のせい”と思っていたからだった。
(僕が、お母さんに「やっちゃいけません」といわれたことを、やったから、お母さんは殺されたんだ)(私が、何か、いけないことを、やったに違いない)
本当は、フツ族をツチ族の争いなんだけど、そんなことを、小さな子どもたちは、わからないから、みんな、自分を責めている。
このとき、何百万、という人びとが難民となった。難民キャンプでコレラが、はやり、毎日、何千人という大人や子どもが死んでいった。道ばたで、コレラで死んだ母親のそばで、小さな女の子が、黙って、すわっていた。
この子は、こう思っていた。(ママが死んだのは、私のせいなの。私を助けようとして、ママは死んだの。こんなふうに、子どもは、みんな、自分のせいだと、自分を責めていた。
私は、これまで、こんなことを知らなかった。純粋なものは、こんなふうに、自分がやったのじゃないことでも、自分でやったのだと、と思うものだ、ということを。
子どものことを、少しでもわかっているように思っていた自分が、なさけなかった。
いま、日本で起こっている、いろいろなことで、(私が、いけなかったんです)という大人は、いないように見える。みんな、昔は、こんなに純粋な子どもだったのに。私は、この小さな子どもたちが、教えてくれたことを、忘れない大人でいよう、思っている。

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