2016年4月2日土曜日

誰だって障害があるんだ。障害が無いと威張っている人こそ最も重症も障害人だ。 ○なぜ当たり前のことができないんだ――。那覇市のコピーライター平岡禎之 さん(56)はかつて、よく子どもを怒鳴って叱ったといいます。妻と4人の子どもが発達障害で、得手不得手は凸凹(でこぼこ)。トラブル続きの家族は、「知ること」で大きく変わりました。  平岡さんの家ではホワイトボードに、夕飯作り、皿洗いなどと書かれた磁石のシートがたくさん貼られ、一つ終える度に裏返すと、「できた!」の文字が表れる。達成感を味わえる工夫だ。極端に忘れっぽく、集中すると寝食も忘れる。家族の特性を様々な工夫でカバーしている。 ■まさか我が子が  我が子に発達障害の可能性があると知ったのは6年前のことだ。次男の選矢(えりや)さん(19)が通っていた中学校から呼び出された。他人の物を間違えて持ち帰ったり、団体競技でパニックを起こし、学校を飛び出したり。「手に負えない。専門家に相談を」と促された。同じ頃、小学校教師として働き始めた長女の愛さん(32)は、うつと診断された。集中しすぎる傾向があり、毎晩仕事を持ち帰り自室にこもる。体重は激減、半年間の休職を余儀なくされた。  そんな時、教育委員会のベテラン指導員にもらった発達障害についての冊子を読んで驚いた。4人の子ども全員に当てはまった。「うちを観察して書いたんじゃないかと」。それまで発達障害の本を読んでも、まさか我が子にかかわることとは思いもしなかった。  二十数年の子育てで不可解だった場面が、走馬灯のようによみがえった。保育園で手を洗い続けて、後ろに列を作った長女。どんなになだめても、激しく夜泣きを続けた長男。けんかの直後に冗談を言うなど、気持ちの切り替えが早過ぎる次女。叱られてもニヤニヤする次男。  「何でできないんだ!」「分かるまで正座してろ!」と怒鳴り、手を上げたこともあった。「だらしない、矯正しなければと思っていました」  だが、障害の特性で、時間の感覚がつかみづらいことや感覚が過敏なこと、思ったことを言葉や態度でうまく表現できないことがあると知った。「困っていたのは私でなく、子ども自身だった」。申しわけなさで涙が止まらず、3日間寝られなかった。  一方、妻の成子(なりこ)さん(52)は解放感を感じていた。自身にも心当たりがあった。物心がついてからずっと、周りと同じようにできないことに苦しんできた。「例えるなら、左利きなのに右利きのふりをして、ばれないように常に緊張している感じ。その違和感に名前が与えられ、解放されたんです」 ■ほめて生活安定  夫婦で猛勉強を始めた。子どもを辛抱強く観察する。失敗を責めず、気づきを促す。家族会議で1週間を振り返り、困り事への対処法を考える。子どもの自己肯定感を高める行動療法だ。あいさつしたり、机に向かったりするだけで褒めた。読み書きが苦手な選矢さんは、絵で見る参考書や、文章に定規を当てて読む方法で勉強意欲がアップ。日程管理が苦手な愛さんは、平岡さんが一緒に予定を立て、生活が落ち着いた。  ある日、妻の成子さんが言った。「私たちは普通の人とはものの感じ方が全然違う『火星人』ね。でも、卑屈にならず、堂々と生きていけばいいのよ」。そして平岡さんは「同じ悩みを持つ人とつながりたい。発達障害を知って欲しい」と思うようになった。2013年から「沖縄タイムス」で四コマ漫画とエッセー「うちの火星人」を連載。家族を動物に例え、イラストは絵の得意な愛さんが担当する。地球に適応するため、頭には透明なヘルメット。連載を通し、家庭でも互いの理解が深まった。  平岡さんは13年に愛さんが結婚する際、特性や生活上必要な工夫を書いた「説明書」を持たせた。夫婦が新生活をスムーズに始められるようにとの思いからだ。「まぶしいのが苦手なので、洗濯物は夜干しに」「頼まれ事は即答せず、夫と相談する」などと、イラストと文章で書かれている。今年結婚する次女の美都(みくに)さん(23)にも説明書を作っている。美都さんは「人とのコミュニケーションに難しさを感じてきたけれど、両親や姉、兄に教えてもらってだいぶ自信がつきました。発達障害が分かってから、家族が一層仲良くなった気がします」と振り返る。  平岡さんは話す。「気づくのは遅かったけれど、接し方を変え、環境を整えるだけで、子どもたちが自信をつけて変わった。失敗しても、笑って乗り越えられるように一緒に考えていきたいですね」

誰だって障害があるんだ。障害が無いと威張っている人こそ最も重症も障害人だ。
○なぜ当たり前のことができないんだ――。那覇市のコピーライター平岡禎之 さん(56)はかつて、よく子どもを怒鳴って叱ったといいます。妻と4人の子どもが発達障害で、得手不得手は凸凹(でこぼこ)。トラブル続きの家族は、「知ること」で大きく変わりました。
 平岡さんの家ではホワイトボードに、夕飯作り、皿洗いなどと書かれた磁石のシートがたくさん貼られ、一つ終える度に裏返すと、「できた!」の文字が表れる。達成感を味わえる工夫だ。極端に忘れっぽく、集中すると寝食も忘れる。家族の特性を様々な工夫でカバーしている。
■まさか我が子が
 我が子に発達障害の可能性があると知ったのは6年前のことだ。次男の選矢(えりや)さん(19)が通っていた中学校から呼び出された。他人の物を間違えて持ち帰ったり、団体競技でパニックを起こし、学校を飛び出したり。「手に負えない。専門家に相談を」と促された。同じ頃、小学校教師として働き始めた長女の愛さん(32)は、うつと診断された。集中しすぎる傾向があり、毎晩仕事を持ち帰り自室にこもる。体重は激減、半年間の休職を余儀なくされた。
 そんな時、教育委員会のベテラン指導員にもらった発達障害についての冊子を読んで驚いた。4人の子ども全員に当てはまった。「うちを観察して書いたんじゃないかと」。それまで発達障害の本を読んでも、まさか我が子にかかわることとは思いもしなかった。
 二十数年の子育てで不可解だった場面が、走馬灯のようによみがえった。保育園で手を洗い続けて、後ろに列を作った長女。どんなになだめても、激しく夜泣きを続けた長男。けんかの直後に冗談を言うなど、気持ちの切り替えが早過ぎる次女。叱られてもニヤニヤする次男。
 「何でできないんだ!」「分かるまで正座してろ!」と怒鳴り、手を上げたこともあった。「だらしない、矯正しなければと思っていました」
 だが、障害の特性で、時間の感覚がつかみづらいことや感覚が過敏なこと、思ったことを言葉や態度でうまく表現できないことがあると知った。「困っていたのは私でなく、子ども自身だった」。申しわけなさで涙が止まらず、3日間寝られなかった。
 一方、妻の成子(なりこ)さん(52)は解放感を感じていた。自身にも心当たりがあった。物心がついてからずっと、周りと同じようにできないことに苦しんできた。「例えるなら、左利きなのに右利きのふりをして、ばれないように常に緊張している感じ。その違和感に名前が与えられ、解放されたんです」
■ほめて生活安定
 夫婦で猛勉強を始めた。子どもを辛抱強く観察する。失敗を責めず、気づきを促す。家族会議で1週間を振り返り、困り事への対処法を考える。子どもの自己肯定感を高める行動療法だ。あいさつしたり、机に向かったりするだけで褒めた。読み書きが苦手な選矢さんは、絵で見る参考書や、文章に定規を当てて読む方法で勉強意欲がアップ。日程管理が苦手な愛さんは、平岡さんが一緒に予定を立て、生活が落ち着いた。
 ある日、妻の成子さんが言った。「私たちは普通の人とはものの感じ方が全然違う『火星人』ね。でも、卑屈にならず、堂々と生きていけばいいのよ」。そして平岡さんは「同じ悩みを持つ人とつながりたい。発達障害を知って欲しい」と思うようになった。2013年から「沖縄タイムス」で四コマ漫画とエッセー「うちの火星人」を連載。家族を動物に例え、イラストは絵の得意な愛さんが担当する。地球に適応するため、頭には透明なヘルメット。連載を通し、家庭でも互いの理解が深まった。
 平岡さんは13年に愛さんが結婚する際、特性や生活上必要な工夫を書いた「説明書」を持たせた。夫婦が新生活をスムーズに始められるようにとの思いからだ。「まぶしいのが苦手なので、洗濯物は夜干しに」「頼まれ事は即答せず、夫と相談する」などと、イラストと文章で書かれている。今年結婚する次女の美都(みくに)さん(23)にも説明書を作っている。美都さんは「人とのコミュニケーションに難しさを感じてきたけれど、両親や姉、兄に教えてもらってだいぶ自信がつきました。発達障害が分かってから、家族が一層仲良くなった気がします」と振り返る。
 平岡さんは話す。「気づくのは遅かったけれど、接し方を変え、環境を整えるだけで、子どもたちが自信をつけて変わった。失敗しても、笑って乗り越えられるように一緒に考えていきたいですね」

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