2018年4月28日土曜日

「天下泰平の時代 高埜利彦」を読む。 ○ 戦国時代の戦乱が終息し、文化の花開く泰平の世へ推移する。家綱・綱吉から吉宗を経て家治まで、17世紀半ばからの100年余りを考察する。 ○安定には安定のための仕組みがある。武威重視の価値観を転換する、どのような政策が打ち出されたのか。新田開発や流通網の整備、歌舞伎・相撲などの娯楽の広がり、朝鮮や琉球との往来など、躍動する時代を描く。 ○ 日本史は東アジアの歴史の中で見るべきである。日本国内が天下泰平になったのは、中国大陸での明清交替が落ち着き、安定した秩序がもたらされた1660年代からだった。 ○ 応仁の乱から中国における清王朝の成立まで続いた約200年間の動乱の後、綱吉から家治までの130年間は太平の世が続き、その後、ロシアの根室来航から始まる明治維新から太平洋戦争の敗北から中共の成立まではまた動乱の歴史となる。 したがって、戦後から現在に続く平和もまた歴史上貴重なものである。 ○ 元禄時代は「生類憐れみの令で庶民を苦しめた犬公方」「賄賂をもらう柳沢吉保」という見方だったが、最近、綱吉の再評価が進んでいいる。 生類憐みの令は日本から犬食の風習をなくしただけでなく、野犬が管理されることで捨て子が襲われるような殺伐とした風景も無くした。 綱吉の発した服忌礼も、今の世に、葬式帰りには清めの塩を自分の身体に撒いたりするなど穢れの意識を高め、身近なところです年賀状を遠慮する喪中葉書として残っている。 ○ 質実剛健への復帰を目指して亨保の改革を進めた吉宗はデフレ政策でその後の幕府の衰退を招いたのかもしれない。

「天下泰平の時代 高埜利彦」を読む。

○ 戦国時代の戦乱が終息し、文化の花開く泰平の世へ推移する。家綱・綱吉から吉宗を経て家治まで、17世紀半ばからの100年余りを考察する。
○安定には安定のための仕組みがある。武威重視の価値観を転換する、どのような政策が打ち出されたのか。新田開発や流通網の整備、歌舞伎・相撲などの娯楽の広がり、朝鮮や琉球との往来など、躍動する時代を描く。

○ 日本史は東アジアの歴史の中で見るべきである。日本国内が天下泰平になったのは、中国大陸での明清交替が落ち着き、安定した秩序がもたらされた1660年代からだった。
○ 応仁の乱から中国における清王朝の成立まで続いた約200年間の動乱の後、綱吉から家治までの130年間は太平の世が続き、その後、ロシアの根室来航から始まる明治維新から太平洋戦争の敗北から中共の成立まではまた動乱の歴史となる。
したがって、戦後から現在に続く平和もまた歴史上貴重なものである。
○ 元禄時代は「生類憐れみの令で庶民を苦しめた犬公方」「賄賂をもらう柳沢吉保」という見方だったが、最近、綱吉の再評価が進んでいいる。
生類憐みの令は日本から犬食の風習をなくしただけでなく、野犬が管理されることで捨て子が襲われるような殺伐とした風景も無くした。
綱吉の発した服忌礼も、今の世に、葬式帰りには清めの塩を自分の身体に撒いたりするなど穢れの意識を高め、身近なところです年賀状を遠慮する喪中葉書として残っている。
○ 質実剛健への復帰を目指して亨保の改革を進めた吉宗はデフレ政策でその後の幕府の衰退を招いたのかもしれない。

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