2018年4月20日金曜日

天心との個人的関係から日本美術を収集してきたボストン美術館を例外として、いわゆる近代日本画を系統的に収集している西欧の美術館は無い。 ○ 明治期にシカゴ万博で日本画を出品して国威発揚に努めようとしたら、額装でないものは絵画でないというシカゴ万博の方針により、軸装の日本画は理解されなかった。  パリ万博で日本美術の個室展示をしたところ、各流派のものを展示したのに理解されなかった。 その理由は額装の油絵こそ芸術であるという偏見の然らしむ事であった。 ○ 日本画にも色々定義はあろうが、近代日本画というものは明治の開国期に西洋絵画を目の当たりにした衝撃の反作用として誕生したとの枠組みが提示されている。 ○ この思想は日本近代文学の誕生と同じ構図である。 そして、岡倉天心、フェノロサの改革路線を継承した新派と江戸期からのままの守旧派である旧派の対立が大正頃まで続いたが、最終的にはこの頃岡倉天心の蒔いた種が芽を吹き、きらびやかな才能と個人的努力により様々な傑作が生まれたが、戦後それらの巨匠たちが個人的努力により研鑽を重ねて名作を残しつつも、順に没して行くにつれていわゆる近代日本画はその命脈が尽きた。 ○ 近代日本画の発展と衰弱を社会的文脈との関連で理解しようというものだが、読者の感想としては、それも否定はし難いし師弟関係などによる影響は大きいけれど、やはり各自の芸術は個人的なものだという気がした。画風を一切変えなかった人もいるけれど、マティスの影響を見ることができる人もいるわけだ。そういう人も晩年にはまた画風を変えて行くわけだから、そういう点にも芸術は個人のものだということが現れている気がする。

天心との個人的関係から日本美術を収集してきたボストン美術館を例外として、いわゆる近代日本画を系統的に収集している西欧の美術館は無い。
○ 明治期にシカゴ万博で日本画を出品して国威発揚に努めようとしたら、額装でないものは絵画でないというシカゴ万博の方針により、軸装の日本画は理解されなかった。
 パリ万博で日本美術の個室展示をしたところ、各流派のものを展示したのに理解されなかった。
その理由は額装の油絵こそ芸術であるという偏見の然らしむ事であった。
○ 日本画にも色々定義はあろうが、近代日本画というものは明治の開国期に西洋絵画を目の当たりにした衝撃の反作用として誕生したとの枠組みが提示されている。
○ この思想は日本近代文学の誕生と同じ構図である。
そして、岡倉天心、フェノロサの改革路線を継承した新派と江戸期からのままの守旧派である旧派の対立が大正頃まで続いたが、最終的にはこの頃岡倉天心の蒔いた種が芽を吹き、きらびやかな才能と個人的努力により様々な傑作が生まれたが、戦後それらの巨匠たちが個人的努力により研鑽を重ねて名作を残しつつも、順に没して行くにつれていわゆる近代日本画はその命脈が尽きた。
○ 近代日本画の発展と衰弱を社会的文脈との関連で理解しようというものだが、読者の感想としては、それも否定はし難いし師弟関係などによる影響は大きいけれど、やはり各自の芸術は個人的なものだという気がした。画風を一切変えなかった人もいるけれど、マティスの影響を見ることができる人もいるわけだ。そういう人も晩年にはまた画風を変えて行くわけだから、そういう点にも芸術は個人のものだということが現れている気がする。

0 件のコメント: