「義経伝説と為朝伝説 原田信男」を読む。
○ 伝説においては、歴史学の大原則ともいうべきテキストクリティック(史料批判)は必要とされない。資料の一部が切り取られ、都合よく解釈されて、伝説に信ぴょう性を与えるための材料とされる。
○ 柳田国男の言を借りれば、伝説とは本質的に「人間の想像力に根を差した以上は自由にまた美しく成長せねばならなかった」史実そのものではなくても、それを語り続ける人々が、歴史にどのような関心を抱いていたかを、雄弁に物語る素材となりうるだろう。
○ 歴史に名をのこす英雄、源義経とその叔父源為朝。だが確実な史料は少なく、膨大な「英雄伝説」のみが流布する。とくに義経伝説は主に北海道へ、為朝伝説は琉球へと広まり、彼らの像は大陸の覇者や王朝の始祖的存在へと飛躍を遂げる。
○ 歴史上の義経は奥州平泉で藤原泰衡と戦い自刃した。しかし伝説の義経は北海道にまで行く事になっている。民衆の願望は更に膨らみ義経は蒙古に渡り成吉思汗(チンギスカン)になる。
○ 北海道沙流郡平取町に義経神社があり祭神は源義経である。私は実際この義経神社を訪れました。
○ 歴史上の為朝は伊豆大島で伊豆守工藤光の大軍と戦い自刃した。しかし為朝伝説では伊豆七島を征服し、更に琉球に渡り琉球王の祖となった事になっている。
2018年4月29日日曜日
「義経伝説と為朝伝説 原田信男」を読む。 ○ 伝説においては、歴史学の大原則ともいうべきテキストクリティック(史料批判)は必要とされない。資料の一部が切り取られ、都合よく解釈されて、伝説に信ぴょう性を与えるための材料とされる。 ○ 柳田国男の言を借りれば、伝説とは本質的に「人間の想像力に根を差した以上は自由にまた美しく成長せねばならなかった」史実そのものではなくても、それを語り続ける人々が、歴史にどのような関心を抱いていたかを、雄弁に物語る素材となりうるだろう。 ○ 歴史に名をのこす英雄、源義経とその叔父源為朝。だが確実な史料は少なく、膨大な「英雄伝説」のみが流布する。とくに義経伝説は主に北海道へ、為朝伝説は琉球へと広まり、彼らの像は大陸の覇者や王朝の始祖的存在へと飛躍を遂げる。 ○ 歴史上の義経は奥州平泉で藤原泰衡と戦い自刃した。しかし伝説の義経は北海道にまで行く事になっている。民衆の願望は更に膨らみ義経は蒙古に渡り成吉思汗(チンギスカン)になる。 ○ 北海道沙流郡平取町に義経神社があり祭神は源義経である。私は実際この義経神社を訪れました。 ○ 歴史上の為朝は伊豆大島で伊豆守工藤光の大軍と戦い自刃した。しかし為朝伝説では伊豆七島を征服し、更に琉球に渡り琉球王の祖となった事になっている。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿