2018年10月24日水曜日

「戦場に散った野球人たち 早坂隆」を読む。 東京ドームの脇に「鎮魂の碑」という名の石碑がある。大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死したプロ野球選手たちの御霊を鎮めることを目的として建立され、計六十九名の選手の名前が刻まれている。 本書では、この野球人たちの中から沢村栄、新富卯三郎、景浦将、吉原正喜、嶋清一、林安夫、石丸進一を選び、その生涯を紹介する。

「戦場に散った野球人たち 早坂隆」を読む。
東京ドームの脇に「鎮魂の碑」という名の石碑がある。大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死したプロ野球選手たちの御霊を鎮めることを目的として建立され、計六十九名の選手の名前が刻まれている。
本書では、この野球人たちの中から沢村栄、新富卯三郎、景浦将、吉原正喜、嶋清一、林安夫、石丸進一を選び、その生涯を紹介する。

2018年10月14日日曜日

10月14日NHK日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」を見る。 高さ3メートル以上の作品に挑む、現代日本を代表する画家の一人、遠藤彰子さん。彼女の創作現場に密着、多くの人を魅了する巨大な絵画にこめられた不思議な世界をひもとく。 遠藤彰子さんは、自然に囲まれた暮らしの中から生まれた動物や植物などの生き物と人間が共生するような作品。そして都市の中で暮らす内面の不安が生み出した作品などを描いてきたw。そして30年前からは、時空を超えたものを表現するため、巨大な絵画に挑んでいる。今年はこれまでの集大成と言える現代の神話のようなスケールの大きい作品。番組ではおよそ半年間の制作過程を追いながら遠藤ワールドの秘密とその思いに迫る。

10月14日NHK日曜美術館「巨大な絵画にこめたもの~画家・遠藤彰子の世界~」を見る。
高さ3メートル以上の作品に挑む、現代日本を代表する画家の一人、遠藤彰子さん。彼女の創作現場に密着、多くの人を魅了する巨大な絵画にこめられた不思議な世界をひもとく。
遠藤彰子さんは、自然に囲まれた暮らしの中から生まれた動物や植物などの生き物と人間が共生するような作品。そして都市の中で暮らす内面の不安が生み出した作品などを描いてきたw。そして30年前からは、時空を超えたものを表現するため、巨大な絵画に挑んでいる。今年はこれまでの集大成と言える現代の神話のようなスケールの大きい作品。番組ではおよそ半年間の制作過程を追いながら遠藤ワールドの秘密とその思いに迫る。

「14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還 澤地久枝」を読む。 「昭和」を見つめ、一貫して戦争や国家を問うてきた著者の原点となったのは、1945年、14歳での敗戦体験だった。 家族と渡った満州・吉林。敗戦後の難民生活は1年に及ぶ。「棄民」ともいうべき壮絶な日々、そして一家での日本への引き揚げ。  14歳という多感な少女が軍国少女となり、日に日に戦争に巻き込まれていく様を、自身の記憶と膨大な資料から丁寧に回顧し綴る。

「14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還 澤地久枝」を読む。
「昭和」を見つめ、一貫して戦争や国家を問うてきた著者の原点となったのは、1945年、14歳での敗戦体験だった。
家族と渡った満州・吉林。敗戦後の難民生活は1年に及ぶ。「棄民」ともいうべき壮絶な日々、そして一家での日本への引き揚げ。
 14歳という多感な少女が軍国少女となり、日に日に戦争に巻き込まれていく様を、自身の記憶と膨大な資料から丁寧に回顧し綴る。

2018年10月12日金曜日

「宮内庁御用達 鮫島敦 松葉仁」を読む。 「宮内庁御用達」は長い歴史を持つ。遠く奈良時代の昔から心づくしの良品が選ばれ、皇室に納められてきた。 著者は職人たちのこだわりと、品々に込められた想いを各地に探訪する。 皇室で使われている品々は、しばしば「宮内庁御用達」の表現で宣伝されている。 実は「宮内庁御用達」制度は戦後廃止され実態はベールに覆われている。 皇室における日々の献立は以外に質素である。 外国使節を接待する晩餐会などは特別の料理である。 著者は実際にそれぞれの店舗を訪れ調べ歩いた。 しかしこれ等は必ずしも「宮内庁御用達」の品物とは異なる可能性がある。 ○ この書では例えば、松前屋の昆布、宮本商工の銀食器、キッコーマン、川島織物、魚治の鮒寿司、小野原本店のからすみ、タングロン北海道のめんつゆ、本田味噌本店などである。

「宮内庁御用達 鮫島敦 松葉仁」を読む。
「宮内庁御用達」は長い歴史を持つ。遠く奈良時代の昔から心づくしの良品が選ばれ、皇室に納められてきた。
著者は職人たちのこだわりと、品々に込められた想いを各地に探訪する。
皇室で使われている品々は、しばしば「宮内庁御用達」の表現で宣伝されている。
実は「宮内庁御用達」制度は戦後廃止され実態はベールに覆われている。
皇室における日々の献立は以外に質素である。
外国使節を接待する晩餐会などは特別の料理である。
著者は実際にそれぞれの店舗を訪れ調べ歩いた。
しかしこれ等は必ずしも「宮内庁御用達」の品物とは異なる可能性がある。
○ この書では例えば、松前屋の昆布、宮本商工の銀食器、キッコーマン、川島織物、魚治の鮒寿司、小野原本店のからすみ、タングロン北海道のめんつゆ、本田味噌本店などである。

「ディズニーランドという聖地 能登路雅子」を読む。 ○ カリフォルニアの「魔法の王国」ディズニーランドとは、いったい何なのか。「ディズニーの国」との深いかかわりを通してその表と裏を知り尽くした著者が、絶大な人気の秘密を考察し、そこに満ちるアメリカの過去と未来、ファンタジーと超リアリズムを鋭く解剖する。「ディズニーの国」の東京・パリ進出にも説き及ぶ新鮮なアメリカ文化論である。 ○ 1955年カリフォルニアに開園したディズニーランドは、ウォルト・ディズニーが過酷な自然・家庭環境の中で過ごした少年時代の反映であり、それ故に周囲の反対を押し切り、実現させた、「あらゆる世代の子どもが楽しめる」安全で清潔な夢の国であった。 ○ 著者はアメリカ在住中何回もカリフォルニアのディズニーランドを訪れる。 その後日本でディズニーランドが開園することになり、著者は嘱託として千葉県浦安の東京ディズニーランドにランドに派遣される。 ○ 1983年東京ディズニーランドが開園する。今や日本人のみならず外国旅行者の来園も相当数ある。

「ディズニーランドという聖地 能登路雅子」を読む。
○ カリフォルニアの「魔法の王国」ディズニーランドとは、いったい何なのか。「ディズニーの国」との深いかかわりを通してその表と裏を知り尽くした著者が、絶大な人気の秘密を考察し、そこに満ちるアメリカの過去と未来、ファンタジーと超リアリズムを鋭く解剖する。「ディズニーの国」の東京・パリ進出にも説き及ぶ新鮮なアメリカ文化論である。
○ 1955年カリフォルニアに開園したディズニーランドは、ウォルト・ディズニーが過酷な自然・家庭環境の中で過ごした少年時代の反映であり、それ故に周囲の反対を押し切り、実現させた、「あらゆる世代の子どもが楽しめる」安全で清潔な夢の国であった。
○ 著者はアメリカ在住中何回もカリフォルニアのディズニーランドを訪れる。
その後日本でディズニーランドが開園することになり、著者は嘱託として千葉県浦安の東京ディズニーランドにランドに派遣される。
○ 1983年東京ディズニーランドが開園する。今や日本人のみならず外国旅行者の来園も相当数ある。

2018年10月11日木曜日

「バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ  鶴見良行」を読む。 ○スーパーマーケットや八百屋の店頭に並ぶバナナの九割を生産するのがフィリピンのミンダダナオ島である。 その大農園で何が起きているか。かつて王座にあった台湾、南米産に代わるフィリピン産バナナの登場の裏で何が進行したのか。 ○ 元々ココナッツ椰子や米を栽培していたミンダナオの農民たちは、多国籍企業と契約、強制によりバナナを栽培せざるを得なくなた。 ○ また飛行機による農薬散布は農民の健康を蝕んでいる。 安くて甘いバナナも、ひと皮むけば、そこには多国籍企業の暗躍、農園労働者の貧苦、さらに明治以来の日本と東南アジアの歪んだ関係が鮮やかに浮かび上がる。

「バナナと日本人 フィリピン農園と食卓のあいだ  鶴見良行」を読む。
○スーパーマーケットや八百屋の店頭に並ぶバナナの九割を生産するのがフィリピンのミンダダナオ島である。
その大農園で何が起きているか。かつて王座にあった台湾、南米産に代わるフィリピン産バナナの登場の裏で何が進行したのか。
○ 元々ココナッツ椰子や米を栽培していたミンダナオの農民たちは、多国籍企業と契約、強制によりバナナを栽培せざるを得なくなた。
○ また飛行機による農薬散布は農民の健康を蝕んでいる。
安くて甘いバナナも、ひと皮むけば、そこには多国籍企業の暗躍、農園労働者の貧苦、さらに明治以来の日本と東南アジアの歪んだ関係が鮮やかに浮かび上がる。

佐々淳行氏のご冥福を祈る。 危機管理を担当する内閣安全保障室の初代の室長を務められた佐々淳行氏が10月10日、東京都内の病院で死去されました。87歳でした。 佐々氏は警察庁で、昭和30年代から40年代の学生運動や、昭和47年の連合赤軍のあさま山荘事件などを担当し、その後、危機管理を担当する内閣安全保障室の初代の室長を務められました。

佐々淳行氏のご冥福を祈る。
危機管理を担当する内閣安全保障室の初代の室長を務められた佐々淳行氏が10月10日、東京都内の病院で死去されました。87歳でした。
佐々氏は警察庁で、昭和30年代から40年代の学生運動や、昭和47年の連合赤軍のあさま山荘事件などを担当し、その後、危機管理を担当する内閣安全保障室の初代の室長を務められました。

2018年10月10日水曜日

「特攻隊振武寮 元陸軍少尉 大貫健一郎 NHK 渡辺考」 陸軍特攻機は機関砲も取り去ってある飛行機であった。特攻機がエンジントラブルなどで、不時着し帰着した場合には帰還した隊員は「振武寮」に収容された。そして不当な扱いを受けた。 そこでは帰還兵への上官の横暴が待ち受けていた。 大貫少尉は特別操縦見習仕官となり、のち特攻隊となるが、飛行機のトラブルで帰還する。そして終戦までに到るまで辛い経験を受けた。 また特攻隊員たちの出撃することへの心の葛藤を語る。 戦後数十年を経ても、筆者が戦死した同僚を悼む思いが綴られている。。

「特攻隊振武寮 元陸軍少尉 大貫健一郎 NHK 渡辺考」
陸軍特攻機は機関砲も取り去ってある飛行機であった。特攻機がエンジントラブルなどで、不時着し帰着した場合には帰還した隊員は「振武寮」に収容された。そして不当な扱いを受けた。
そこでは帰還兵への上官の横暴が待ち受けていた。
大貫少尉は特別操縦見習仕官となり、のち特攻隊となるが、飛行機のトラブルで帰還する。そして終戦までに到るまで辛い経験を受けた。
また特攻隊員たちの出撃することへの心の葛藤を語る。
戦後数十年を経ても、筆者が戦死した同僚を悼む思いが綴られている。。

2018年10月9日火曜日

「世界の日本人ジョーク集 早坂隆」を読む。 ○ 本書の内容が面白いことは言うに及ばず、この書籍の優れている点は、日本人が故に自己分析が難しい日本の印象をジョークを用いて客観的に述べている事である。 ○ 例えば、日本人は勤勉、きまじめ、口数が少ない等の印象を諸外国に持たれているのである。そのジョークでの表現がリアルに心に響く。 例 ○ ある大富豪で酔狂な人がいた。 「もしも青いキリンを見せてくれたら莫大な賞金を進呈しよう。」 すると、 イギリス人はそんなキリンがいるかどうか議論を始めた。 ドイツ人は図書館へ行って文献を調べ始めた。 アメリカ人は軍隊を派遣して世界中を探し始めた。 日本人は青いキリンを創り出そうと品種改良を始めた。 中国人は、青いペンキを買いに出かけた。 ○ ビール 「日本のビールは凄いな。栓を抜いてグラスに入れただけでクラクラした。「違うんだよ。地震だよ。」 ○ ヨーロッパの女性が、日本人男性にして欲しくない会話 野球の話。会社の話。会社で野球をした話。  

「世界の日本人ジョーク集 早坂隆」を読む。
○ 本書の内容が面白いことは言うに及ばず、この書籍の優れている点は、日本人が故に自己分析が難しい日本の印象をジョークを用いて客観的に述べている事である。
○ 例えば、日本人は勤勉、きまじめ、口数が少ない等の印象を諸外国に持たれているのである。そのジョークでの表現がリアルに心に響く。

○ ある大富豪で酔狂な人がいた。
「もしも青いキリンを見せてくれたら莫大な賞金を進呈しよう。」
すると、
イギリス人はそんなキリンがいるかどうか議論を始めた。
ドイツ人は図書館へ行って文献を調べ始めた。
アメリカ人は軍隊を派遣して世界中を探し始めた。
日本人は青いキリンを創り出そうと品種改良を始めた。
中国人は、青いペンキを買いに出かけた。

○ ビール
「日本のビールは凄いな。栓を抜いてグラスに入れただけでクラクラした。「違うんだよ。地震だよ。」

○ ヨーロッパの女性が、日本人男性にして欲しくない会話
野球の話。会社の話。会社で野球をした話。
 

2018年10月7日日曜日

10月7日NHK日曜美術館「生き物のいのちを描く~知られざる絵師 小原古邨~」を見る。 ○ 5年前にある倉庫から偶然出てきた数百枚の木版画。明治生まれの絵師・小原古邨(1877~1945)の作品だ。日本では無名だが、海外で人気を誇った。日本画のような写実表現と技に迫る。 ○ 透き通るような色彩。生き物が躍動するかのような写実的な描写。小原古邨は知られざる絵師ながら海外では画集が出版されるほどの人気がある。茅ヶ崎市美術館の展覧会では、古邨の木版画230点が展示されている。作品からは、江戸時代の浮世絵の伝統を受け継ぎつつ、明治になって新しいものを取り入れていたことがわかる。そして番組では見つかった版木を基に木版画のすりの再現にも挑戦。

10月7日NHK日曜美術館「生き物のいのちを描く~知られざる絵師 小原古邨~」を見る。
○ 5年前にある倉庫から偶然出てきた数百枚の木版画。明治生まれの絵師・小原古邨(1877~1945)の作品だ。日本では無名だが、海外で人気を誇った。日本画のような写実表現と技に迫る。
○ 透き通るような色彩。生き物が躍動するかのような写実的な描写。小原古邨は知られざる絵師ながら海外では画集が出版されるほどの人気がある。茅ヶ崎市美術館の展覧会では、古邨の木版画230点が展示されている。作品からは、江戸時代の浮世絵の伝統を受け継ぎつつ、明治になって新しいものを取り入れていたことがわかる。そして番組では見つかった版木を基に木版画のすりの再現にも挑戦。

「野口英世 井出孫六」を読む。 ○ 野口英世の実像は、死の直後から流布した偉人伝のかげに隠され、よく知られてはいない。猪苗代の幼なじみ、恩師との出会い、初恋、徒手空拳での渡米、その栄光と挫折の軌跡を見守りつづけた人々とのドラマを軸に、人間・野口英世の強烈な個性を描き切る。 ○「貧しさと身体障害に打ちかった世界の細菌学者」として知られる野口英世。野口英世は幼少時、左手の火傷を受けた。 ○ 貧困の野口英世を助ける恩人がいた。小林栄、渡部鼎、血脇守之助の三人である。この三人は野口英世の才能と情熱に打たれたのである。 アメリカではロックフェラー研究所のフレクスナー博士の支援により医学的な業績をあげる。やがて野口英世はアフリカのアクラで病死する。

「野口英世 井出孫六」を読む。
○ 野口英世の実像は、死の直後から流布した偉人伝のかげに隠され、よく知られてはいない。猪苗代の幼なじみ、恩師との出会い、初恋、徒手空拳での渡米、その栄光と挫折の軌跡を見守りつづけた人々とのドラマを軸に、人間・野口英世の強烈な個性を描き切る。
○「貧しさと身体障害に打ちかった世界の細菌学者」として知られる野口英世。野口英世は幼少時、左手の火傷を受けた。
○ 貧困の野口英世を助ける恩人がいた。小林栄、渡部鼎、血脇守之助の三人である。この三人は野口英世の才能と情熱に打たれたのである。
アメリカではロックフェラー研究所のフレクスナー博士の支援により医学的な業績をあげる。やがて野口英世はアフリカのアクラで病死する。

「良寛のスローライフ 松本一壽」を読む。 良寛は生涯寺を持たず、托鉢の乞食僧としてすごした。質素で自然を愛し、自然を根差した人生はまさに「スローライフ」の先駆者であった。 良寛と同時代に生き、良寛の暮らしぶりを、身近に見た解良栄重の「良寛禅師奇話」にあるエピソードから、現代人に向け生き方のヒントを探る。

「良寛のスローライフ 松本一壽」を読む。
良寛は生涯寺を持たず、托鉢の乞食僧としてすごした。質素で自然を愛し、自然を根差した人生はまさに「スローライフ」の先駆者であった。
良寛と同時代に生き、良寛の暮らしぶりを、身近に見た解良栄重の「良寛禅師奇話」にあるエピソードから、現代人に向け生き方のヒントを探る。

「昭和天皇の終戦史 吉田裕」を読む。 戦争責任ははたして軍部だけにあったのか。天皇と側近たちの「国体護持」のシナリオとは何であったか。近年、社会的反響を呼んだ「昭和天皇独白録」を徹底的に検証し、また東京裁判・国際検察局の尋問調書など膨大な史料を調査・検討した著者は、水面下で錯綜しつつ展開された、終戦工作の全容を初めて浮き彫りにする。

「昭和天皇の終戦史 吉田裕」を読む。
戦争責任ははたして軍部だけにあったのか。天皇と側近たちの「国体護持」のシナリオとは何であったか。近年、社会的反響を呼んだ「昭和天皇独白録」を徹底的に検証し、また東京裁判・国際検察局の尋問調書など膨大な史料を調査・検討した著者は、水面下で錯綜しつつ展開された、終戦工作の全容を初めて浮き彫りにする。

2018年10月5日金曜日

10月4日再放送、NHKBSプレミアム英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」を見る。 王政復古のクーデターから鳥羽伏見の戦いまでの25日間。西郷隆盛と大久保利通は、巻き返しを図る旧幕府勢力としれつな権力抗争を展開。明治維新を導いた最後の攻防に迫る。 慶応3年12月9日。薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、王政復古のクーデターを断行。しかし、その後、新政府を徳川慶喜主導のものにしようともくろむ土佐・越前などの諸藩が勢いを増し、慶喜排除を掲げた西郷・大久保らは孤立。形勢によっては旧幕府側が実権を握る可能性もあった。 ○ 徳川慶喜が大政奉還を実現すると、旧幕府方には新政府の命令将軍の辞官納地決定に不服の者も多かった。 また、新政府側でも岩倉具視らの急進派と山内豊信(容堂)らの穏健派の対立が続き、形勢は穏健派に傾いていた。 一方、大政奉還により、新政府の主導権を徳川慶喜に握られていた薩摩藩は、挑発を続け、旧幕府軍を撹乱する工作を実行した。これに対抗するように、12月25日、徳川慶喜の意に反する形で江戸では庄内藩によって薩摩藩邸の焼打ちが行われることになる。その後鳥羽伏見の戦いが始まった。

10月4日再放送、NHKBSプレミアム英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」を見る。
王政復古のクーデターから鳥羽伏見の戦いまでの25日間。西郷隆盛と大久保利通は、巻き返しを図る旧幕府勢力としれつな権力抗争を展開。明治維新を導いた最後の攻防に迫る。
慶応3年12月9日。薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、王政復古のクーデターを断行。しかし、その後、新政府を徳川慶喜主導のものにしようともくろむ土佐・越前などの諸藩が勢いを増し、慶喜排除を掲げた西郷・大久保らは孤立。形勢によっては旧幕府側が実権を握る可能性もあった。
○ 徳川慶喜が大政奉還を実現すると、旧幕府方には新政府の命令将軍の辞官納地決定に不服の者も多かった。
また、新政府側でも岩倉具視らの急進派と山内豊信(容堂)らの穏健派の対立が続き、形勢は穏健派に傾いていた。
一方、大政奉還により、新政府の主導権を徳川慶喜に握られていた薩摩藩は、挑発を続け、旧幕府軍を撹乱する工作を実行した。これに対抗するように、12月25日、徳川慶喜の意に反する形で江戸では庄内藩によって薩摩藩邸の焼打ちが行われることになる。その後鳥羽伏見の戦いが始まった。

10月4日NHKBSプレミアム英雄たちの選択▽探検SP~20世紀探検家列伝 なぜ未知の世界をめざしたのか ○ 20世紀に入ってまもなく、死と隣り合わせの大冒険を成し遂げた3人の探検家たち。彼らを探検に駆り立てたものはなにか?明治人の気概に迫る探検スペシャル。 ○ シルクロードの仏教遺跡を探検した大谷光瑞。 ○ 秘境チベットに仏教の原典をもとめた河口慧海。 ○ そして、一民間人として、南極探検に乗り出した白瀬矗(のぶ)。探検家の関野吉晴さんによれば、20世紀初頭の探検家を突き動かしたのは、3つのGのどれかだという。 グローリー(名誉)、ゴスペル(宗教的情熱)そして、ゴールド(経済)。

10月4日NHKBSプレミアム英雄たちの選択▽探検SP~20世紀探検家列伝 なぜ未知の世界をめざしたのか
○ 20世紀に入ってまもなく、死と隣り合わせの大冒険を成し遂げた3人の探検家たち。彼らを探検に駆り立てたものはなにか?明治人の気概に迫る探検スペシャル。
○ シルクロードの仏教遺跡を探検した大谷光瑞。
○ 秘境チベットに仏教の原典をもとめた河口慧海。
○ そして、一民間人として、南極探検に乗り出した白瀬矗(のぶ)。探検家の関野吉晴さんによれば、20世紀初頭の探検家を突き動かしたのは、3つのGのどれかだという。
グローリー(名誉)、ゴスペル(宗教的情熱)そして、ゴールド(経済)。

「赤毛のアンと花子 村岡恵理」を読む。 本書は、児童書版とも言うべきもので、「赤毛のアン」を読んだ人も、これから読む人にも楽しめる物語になっています。 ○ この本の著者は、村岡恵理さん。村岡花子のお孫さんです。  布川愛子さんの挿し絵が綺麗で癒しです。 「赤毛のアン」を日本で初めて翻訳した方が村岡花子さんです。 ○「赤毛のアン」はカナダの作家、ルーシー・モード・モンゴメリの書いた小説です。 赤毛でやせっぽちのアンという孤児の女の子が、優しい養父母と出会い、元気に成長していく物語です。  ○ 本書では、「アン」と花子さんの不思議と似ている点について紹介しながら、花子さんの生涯を紹介しています。 ○ 参考ですが「赤毛のアン」の元題は( Anne of Green Gables)です。

「赤毛のアンと花子 村岡恵理」を読む。
本書は、児童書版とも言うべきもので、「赤毛のアン」を読んだ人も、これから読む人にも楽しめる物語になっています。
○ この本の著者は、村岡恵理さん。村岡花子のお孫さんです。  布川愛子さんの挿し絵が綺麗で癒しです。
「赤毛のアン」を日本で初めて翻訳した方が村岡花子さんです。
○「赤毛のアン」はカナダの作家、ルーシー・モード・モンゴメリの書いた小説です。
赤毛でやせっぽちのアンという孤児の女の子が、優しい養父母と出会い、元気に成長していく物語です。 
○ 本書では、「アン」と花子さんの不思議と似ている点について紹介しながら、花子さんの生涯を紹介しています。
○ 参考ですが「赤毛のアン」の元題は( Anne of Green Gables)です。

2018年10月4日木曜日

「歌舞伎ことば帖 服部幸雄」を読む。 250年余にわたり江戸時代人の心をとらえ続けた歌舞伎は、その壮大な虚構宇宙を彩る味わい深い述語群を生み出した。 中には「捨てぜりふ」「板に付く」「茶番」など,現代語に定着しているものも多い。様々な言葉を手がかりに歌舞伎という芸能の奥深くへ分け入り、その魅力の源泉を読み解く。 例えば 「捨てぜりふ」は現在では脅迫語とされているが、元々アドリブの言葉であった。 「板に付く」の板は舞台である。役者が修練し舞台に調和するという意味である。 「茶番」は元々お茶の当番を言うであった。それが酒席の小芝居に変形した。 「切って落とす」歌舞伎の幕で2枚目の薄い幕を落とす事である。 「柿落とし」は「こけらおとし」と読み木屑を落とす意味である。新装公開の意味になった。

「歌舞伎ことば帖 服部幸雄」を読む。
250年余にわたり江戸時代人の心をとらえ続けた歌舞伎は、その壮大な虚構宇宙を彩る味わい深い述語群を生み出した。
中には「捨てぜりふ」「板に付く」「茶番」など,現代語に定着しているものも多い。様々な言葉を手がかりに歌舞伎という芸能の奥深くへ分け入り、その魅力の源泉を読み解く。
例えば
「捨てぜりふ」は現在では脅迫語とされているが、元々アドリブの言葉であった。
「板に付く」の板は舞台である。役者が修練し舞台に調和するという意味である。
「茶番」は元々お茶の当番を言うであった。それが酒席の小芝居に変形した。
「切って落とす」歌舞伎の幕で2枚目の薄い幕を落とす事である。
「柿落とし」は「こけらおとし」と読み木屑を落とす意味である。新装公開の意味になった。

2018年10月3日水曜日

「日本人のしきたり 飯倉晴武」を読む。 ○ 著者は、宮内庁書陵部で首席研究官、陵墓調査官等を歴任した歴史学者である。 本書では、旧暦、二十四節気、干支、神と仏、ハレとケなど、“しきたり”のベースとなる日本人の自然観と信仰について触れた上で、正月行事、年中行事、結婚、懐妊・出産、祝い事、贈答、手紙、葬式、縁起について、それぞれに関する様々な“しきたり”を、簡潔かつ網羅的に解説している。 例えば ○ 昔の男子の成人式は元服と呼ばれ13~15歳であった。 ○ 平安時代以前、端午の節句は女の子の行事であった。 ○ 結婚は平安時代頃までは婿入婚であった、戦国時代頃から嫁入婚になった。 ○ 神前結婚式は明治になってから始まった。

「日本人のしきたり 飯倉晴武」を読む。
○ 著者は、宮内庁書陵部で首席研究官、陵墓調査官等を歴任した歴史学者である。
本書では、旧暦、二十四節気、干支、神と仏、ハレとケなど、“しきたり”のベースとなる日本人の自然観と信仰について触れた上で、正月行事、年中行事、結婚、懐妊・出産、祝い事、贈答、手紙、葬式、縁起について、それぞれに関する様々な“しきたり”を、簡潔かつ網羅的に解説している。
例えば
○ 昔の男子の成人式は元服と呼ばれ13~15歳であった。
○ 平安時代以前、端午の節句は女の子の行事であった。
○ 結婚は平安時代頃までは婿入婚であった、戦国時代頃から嫁入婚になった。
○ 神前結婚式は明治になってから始まった。

「緒方貞子難民支援の現場から 東野真」を読む。 ○ 緒方貞子氏63歳で国連難民高等弁務官に就任、その人柄と献身的・精力的な仕事ぶりを著者はインタビューする。 ○ 緒方氏は冷戦後の10年間、国連人道機関の一つであるUNHCRのトップとして世界の難民支援を指揮し、国際的に高い評価を得た。 ○ 難民問題は政治が解決しなければ解決しない。政治対立が軍事対決に発展すると難民が生まれる。 緒方貞子氏は頻発する危機や武力紛争の中で人命を守るため行動した。 ○ 同時多発テロ事件のあと世界はどこに向かおうとしているのか。「人間の安全保障」という考え方にはどんな可能性があるのか。緒方貞子氏は報復、復讐という事に疑問を呈する。被害者は一般市民であるからである。 ○ 自らの生い立ちを日米関係史に重ね、人道主義を力強く提唱した、アメリカでの講演『日本、アメリカと私─世界の課題と責任』を巻末に収録。

「緒方貞子難民支援の現場から 東野真」を読む。
○ 緒方貞子氏63歳で国連難民高等弁務官に就任、その人柄と献身的・精力的な仕事ぶりを著者はインタビューする。
○ 緒方氏は冷戦後の10年間、国連人道機関の一つであるUNHCRのトップとして世界の難民支援を指揮し、国際的に高い評価を得た。
○ 難民問題は政治が解決しなければ解決しない。政治対立が軍事対決に発展すると難民が生まれる。
緒方貞子氏は頻発する危機や武力紛争の中で人命を守るため行動した。
○ 同時多発テロ事件のあと世界はどこに向かおうとしているのか。「人間の安全保障」という考え方にはどんな可能性があるのか。緒方貞子氏は報復、復讐という事に疑問を呈する。被害者は一般市民であるからである。
○ 自らの生い立ちを日米関係史に重ね、人道主義を力強く提唱した、アメリカでの講演『日本、アメリカと私─世界の課題と責任』を巻末に収録。

2018年10月2日火曜日

「のぶカンタービレ! 辻井いつ子」を読む。 辻井伸行さんの母辻井いつ子さんが綴る、全盲のピアニスト辻井伸行さんの感動秘話である。父親の辻井孝さんは産科医師であって経済的に伸行さんを支えた。母親のいつ子さんは、伸行さんのピアニストとしての成長を支えた。 伸行さんは赤ちゃんの時にオムツの時から話す前から、歩く前からピアノを弾いた。 伸行さんが演奏中に身体を揺らし、喜びを発散させる姿もまたエネルギーがあった。  伸行さんは2009年アメリカの第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した 。 またショパン2013年ワルシャワで行なわれた第15回ショパン国際ピアノコンクールで「ポーランド批評家賞」を受賞した。

「のぶカンタービレ! 辻井いつ子」を読む。
辻井伸行さんの母辻井いつ子さんが綴る、全盲のピアニスト辻井伸行さんの感動秘話である。父親の辻井孝さんは産科医師であって経済的に伸行さんを支えた。母親のいつ子さんは、伸行さんのピアニストとしての成長を支えた。
伸行さんは赤ちゃんの時にオムツの時から話す前から、歩く前からピアノを弾いた。
伸行さんが演奏中に身体を揺らし、喜びを発散させる姿もまたエネルギーがあった。 
伸行さんは2009年アメリカの第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した 。
またショパン2013年ワルシャワで行なわれた第15回ショパン国際ピアノコンクールで「ポーランド批評家賞」を受賞した。

「日本の神々 谷川健一」を読む。 昭和初期、時局の先棒担ぎ、国策の尻馬に乗った国家神道が、日本の神々の本来の姿でなかった事は敗戦の手痛い教訓が証明している。 著者はこれら神々の運命を辿りつつ人々の暮らしの原像に迫る。 ○ 著者は、戦時中の狂熱的な神がかりを最も嫌悪し忌避するが、戦後になって日本の神の発見を志した。著者は民族学を通して日本人の信仰の原型を追及する。 著者はこれら神々の運命を辿りつつ人々の暮らしの原像に迫る。 ○ 日本の神の源流を辿ると、西洋(一神教)の神のように、意思を持ち人格を備えた存在から遠い。 ○ かつて日本列島に住みなした人々は、風も樹も山もすべて「可畏(かしこ)きもの」をカミと考えた。 すなわち災いをもたらすものも、稔りや大漁をもたらすものも、およそ人の力の及ぶべくもないすべての自然が畏怖の対象であったのだ。 やがてこれらの神々は天つ神に駆逐され、流竄(るざん)の姿となっていく。

「日本の神々 谷川健一」を読む。
昭和初期、時局の先棒担ぎ、国策の尻馬に乗った国家神道が、日本の神々の本来の姿でなかった事は敗戦の手痛い教訓が証明している。
著者はこれら神々の運命を辿りつつ人々の暮らしの原像に迫る。
○ 著者は、戦時中の狂熱的な神がかりを最も嫌悪し忌避するが、戦後になって日本の神の発見を志した。著者は民族学を通して日本人の信仰の原型を追及する。
著者はこれら神々の運命を辿りつつ人々の暮らしの原像に迫る。
○ 日本の神の源流を辿ると、西洋(一神教)の神のように、意思を持ち人格を備えた存在から遠い。
○ かつて日本列島に住みなした人々は、風も樹も山もすべて「可畏(かしこ)きもの」をカミと考えた。
すなわち災いをもたらすものも、稔りや大漁をもたらすものも、およそ人の力の及ぶべくもないすべての自然が畏怖の対象であったのだ。
やがてこれらの神々は天つ神に駆逐され、流竄(るざん)の姿となっていく。

2018年10月1日月曜日

「日本軍と日本兵 一ノ瀬俊也」を読む。 日本軍、特に日本陸軍の実像をどうとらえるべきなのか、本書は、戦争のもう一方の当事者である米軍が軍内部で出していた広報誌『Intelligence Bulletin(『情報広報』)を用いて、彼らが、日本軍、そして日本人をどうとらえていたかを探る。  ○ 『情報広報』には、例えば、日本人はLとRの区別がつかないので、戦場で日本人か中国人か判別がつかない場合には、それらが入った文章を言わせることといったことが書かれている。 ○ また、日本兵個人の特徴として、規律は良好、準備された防御では死ぬまで戦う、とある一方で、予想していなかったことに直面するとパニックに陥る、自分で物を考えないといった分析がされている。  ○ さらに、日本の兵士らがじつはさまざまな不平不満を抱えていて、投降させることもできた、といったことが書かれている。  ○ 戦後、日本人が占領軍に従順だったのは、確かに民主主義という理想もあるが、経済的混乱に無策な日本政府を信用せず、占領軍総司令部を危機解決の最高権威と見たからである。 ○ 戦時の日本兵の直系の子孫である私たちも同じ立場におかれれば、同じように行動するかも知れない。

「日本軍と日本兵 一ノ瀬俊也」を読む。
日本軍、特に日本陸軍の実像をどうとらえるべきなのか、本書は、戦争のもう一方の当事者である米軍が軍内部で出していた広報誌『Intelligence Bulletin(『情報広報』)を用いて、彼らが、日本軍、そして日本人をどうとらえていたかを探る。 
○ 『情報広報』には、例えば、日本人はLとRの区別がつかないので、戦場で日本人か中国人か判別がつかない場合には、それらが入った文章を言わせることといったことが書かれている。
○ また、日本兵個人の特徴として、規律は良好、準備された防御では死ぬまで戦う、とある一方で、予想していなかったことに直面するとパニックに陥る、自分で物を考えないといった分析がされている。 
○ さらに、日本の兵士らがじつはさまざまな不平不満を抱えていて、投降させることもできた、といったことが書かれている。 
○ 戦後、日本人が占領軍に従順だったのは、確かに民主主義という理想もあるが、経済的混乱に無策な日本政府を信用せず、占領軍総司令部を危機解決の最高権威と見たからである。
○ 戦時の日本兵の直系の子孫である私たちも同じ立場におかれれば、同じように行動するかも知れない。