2018年4月30日月曜日

「美ら島清ら心(ちゅらしまちゅらぐくる) 平良とみ」を読む。 ○ ちゅら(美人)おばぁのうちなー(沖縄)夢ばなしです。 NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」でおなじみ、うちなー(沖縄)女優人生60年の平良とみ(1928~2015)さんが語る、芝居、人生、家族、愛、夢、そして沖縄の心である。多くのカラー写真が入っている楽しい本です。 ○ うちなーんちゅ(沖縄人)が読んでも、やまとーんちゅ(本土の人)が読んでも、おもしろく、わかりやすく、平良さん流に沖縄の日常をウチナーグチ(沖縄の方言)をまじえ、わかりやすく楽しく説明しています。

「美ら島清ら心(ちゅらしまちゅらぐくる) 平良とみ」を読む。
○ ちゅら(美人)おばぁのうちなー(沖縄)夢ばなしです。
NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」でおなじみ、うちなー(沖縄)女優人生60年の平良とみ(1928~2015)さんが語る、芝居、人生、家族、愛、夢、そして沖縄の心である。多くのカラー写真が入っている楽しい本です。
○ うちなーんちゅ(沖縄人)が読んでも、やまとーんちゅ(本土の人)が読んでも、おもしろく、わかりやすく、平良さん流に沖縄の日常をウチナーグチ(沖縄の方言)をまじえ、わかりやすく楽しく説明しています。

「こども風土記 母の手鞠歌 柳田国男」を読む。 ○ この本には既に失われた懐かしい戦前の文化が語られている。 ○ 日本の各地に伝わる戦前の様々な子供の遊びとその背後に潜むものを書きとめた短文集『こども風土記』は柳田国男により「社会と人生とを周囲の書物の間から伝承覚してゆくような路を開きたい」と願って書かれた。 ○ 『母の手毬歌』は文化伝承の担い手としての子供たちを見つめる柳田の優しいまなざしが行間からほのぼのと感取される。 ○ 挿し絵は初山滋さん、野口義恵さんにより描かれた。私たちはこの挿し絵により戦前の日本人の生活を見る事ができる。

「こども風土記 母の手鞠歌 柳田国男」を読む。
○ この本には既に失われた懐かしい戦前文化が語られている。
○ 日本の各地に伝わる戦前の様々な子供の遊びとその背後に潜むものを書きとめた短文集『こども風土記』は柳田国男により「社会と人生とを周囲の書物の間から伝承覚してゆくような路を開きたい」と願って書かれた。
○ 『母の手毬歌』は文化伝承の担い手としての子供たちを見つめる柳田の優しいまなざしが行間からほのぼのと感取される。
○ 挿し絵は初山滋さん、野口義恵さんにより描かれた。私たちはこの挿し絵により戦前の日本人の生活を見る事ができる。

お早うございます。子供の日、端午の節句を控え高洲コミュニティセンター駐車場の空にに鯉幟が泳いでいます。 「こいのぼり」 やねより たかい こいのぼり おおきい まごいは おとうさん ちいさい ひごいは こどもたち おもしろそうに およいでる

お早うございます。子供の日、端午の節句を控え高洲コミュニティセンター駐車場の空にに鯉幟が泳いでいます。

「こいのぼり」

やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる


4月月30日 お早うございます。千葉市は晴れ、24℃ 皆様のご健康を祈ります。朝の散歩道の花は馬酔木、松葉菊、薔薇です。

4月月30日 お早うございます。千葉市は晴れ、24℃
皆様のご健康を祈ります。朝の散歩道の花は馬酔木、松葉菊、薔薇です。

2018年4月29日日曜日

風土記の世界

「風土記の世界 三浦祐之」を読む
○ 風土記は古代を知る宝箱。土地のいわれや古老の言い伝え、天皇の巡行など、バラエティーに富む内容である。
ヤマトタケルを天皇として描く常陸国。編纂命令から二〇年も経て提出した出雲国、滑稽譚満載の播磨国など、特徴を読みとき、生き生きとした古代世界像を描く。
○ 「古事記や日本書記、あるいは万葉集ほど知名度は高くないが、日本列島の古代を知ることのできる貴重な書物として、風土記が遺されている。風土記はそれぞれの国で編まれ律令政府に提出された書物だが、今は、5か国の風土記と後世の書物に運良く引用されて伝わる逸文が遺るにすぎない。
数量としてはわずかだが、風土記がなければ何もわからない8世紀初頭の日本列島を記録した資料が、いくらかのフィルターは掛かっているとしても読めることの意義は計りしれない」。
○記録されているのは、土地で語られていた神話や滑稽な話や土地の謂われ、あるいは天皇たちの巡行、土地に生息する動物や生えている植物、耕作地の肥沃状態などである」。
○ 現存する風土記は、ほぼ全容の分かる5か国――常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国――の風土記と、後世の文献に引用されたため、現代の私たちも読むことのできる諸国風土記の断簡群(逸文)のみである。これらの風土記は同じ官命に応じて記載・提出されたものでありながら、その内容は国ごとに異なっており、バラエティに富んでいる。著者は、それが風土記の魅力である。
○ 常陸国風土記には、「倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)」という、日本書記にも古事記にも出てこない天皇が登場します。日本書記には日本武尊(やまとたけるのみこと)という名の、古事記には倭建命(やまとたけるのみこと)という名の人物が登場しますが、天皇ではなく夭折する皇子として描かれている。
○常陸国風土記では、なぜ「天皇」として語られているのか。「古事記や日本書記のヤマトタケルの伝えでは、常陸国は通過点としてしか存在せず、ほとんど無視されている。それなのに、常陸国風土記では、一方的なかたちで倭武天皇への熱い思いを寄せるのである。これはどう考えても、現存する中央の歴史とは別の歴史認識が存在したと考えるほかはない」。
「常陸国においては、悲劇的な死が語り出される以前の、天皇として巡行するヤマトタケルが生き続けており、常陸国風土記にはそれが採用された。中央から赴任していた国司層が、そうした『倭武天皇』を採用できたのは、中央の歴史において、まだ夭折する悲劇の御子像が定着するところまでは固まっていなかったからだとしか考えられない」。
○「7世紀初めから8世紀初頭へ、律令国家の歴史叙述がくり返し試みられた。
およそ100年のあいだに皇位継承の順序や継承者の顔ぶれは、いくたびも変転し揺れ動いたのだ。
その揺れのなかに常陸国風土記の倭武天皇はおり、古事記の倭建命がおり、日本書記の日本武尊がいた。
常陸国風土記の倭武天皇の伝承は、天皇家の歴史が確定する以前の、『もう一つ』の歴史や系譜を垣間見せている。
古事記でもなく、ましてや日本書記でもない伝承や系譜が、じつはいくつも存在したのであり、常陸国風土記はその一つにすぎない。そうしたことを浮かび上がらせてくれるという点だけでも、常陸国風土記が今に遺された意味は計り知れないほど大きい」。

4月29日 千葉市美浜区「山陽メディアフラワーミュージアム」(花の美術館)に行きました。今日は日曜日、子供さん、家族の方々がいっぱい来ておられました。 前庭にはポピーが綺麗に咲いていました。館内には紫陽花、後庭には薔薇、石楠花が咲いていました。

4月29日 千葉市美浜区「山陽メディアフラワーミュージアム」(花の美術館)に行きました。今日は日曜日、子供さん、家族の方々がいっぱい来ておられました。
前庭にはポピーが綺麗に咲いていました。館内には紫陽花、後庭には薔薇、石楠花が咲いていました。

4月28日テレビ東京 美の巨人たち「八幡浜市立日土小学校」をみ。 『八幡浜市立日土(やわたはましりつひづち)小学校』。60年に渡り愛媛の山間に佇む現役の小学校です。照明もないのに驚くほど明るくどこか懐かしい空間…“日本で一番美しい小学校”と謳われ、木造建築としては戦後初めて重要文化財に指定されました。 パステル調の若草色と淡い桜色に塗り分けられている。 校舎に施された“クラスター型”と言う方法で教室の両側から光が入る。 “カーテンウォール式”とはブレースを使い柱のいらない方式である。 校舎のシンボルは裏手は川に面している。 建物の設計だけでなく椅子も机も手掛けた建築家・松村正恒のデザインである。

4月28日テレビ東京 美の巨人たち「八幡浜市立日土小学校」をみ。
『八幡浜市立日土(やわたはましりつひづち)小学校』。60年に渡り愛媛の山間に佇む現役の小学校です。照明もないのに驚くほど明るくどこか懐かしい空間…“日本で一番美しい小学校”と謳われ、木造建築としては戦後初めて重要文化財に指定されました。
パステル調の若草色と淡い桜色に塗り分けられている。
校舎に施された“クラスター型”と言う方法で教室の両側から光が入る。
“カーテンウォール式”とはブレースを使い柱のいらない方式である。
校舎のシンボルは裏手は川に面している。
建物の設計だけでなく椅子も机も手掛けた建築家・松村正恒のデザインである。

4月29日 NHK日曜美術館「漂泊の天才画家 池大雅」を見る。 ○ 江戸時代の画家・池大雅(1723~1776)は幼いころ神童と言われ、日本中を旅する中で西洋の技法を身につけ、指で描く特技もあった。川端康成などの文豪も愛した天才・大雅の魅力に迫る。 ○ 伊藤若冲、円山応挙など個性きらめく画家たちが活躍した江戸時代中期に中国の山水画を手本に独自の画風を切り開いた池大雅。成長のきっかけとなったのが旅。その中で西洋絵画を見る機会があり、それを自分の表現に取り込んだ。 ○ 大雅が即興で指や爪を使って描いたという指墨画。番組では今回、指墨画の再現に挑戦し、その類いまれな技が明らかになった。晩年の悠々自適な暮らしを描いた国宝の傑作も紹介する。 ○ 池大雅は苦労を苦労とせず、不便を不便とせず人生を楽しんだ画家であった。私には学ぶ所が多い。

4月29日 NHK日曜美術館「漂泊の天才画家 池大雅」を見る。
○ 江戸時代の画家・池大雅(1723~1776)は幼いころ神童と言われ、日本中を旅する中で西洋の技法を身につけ、指で描く特技もあった。川端康成などの文豪も愛した天才・大雅の魅力に迫る。
○ 伊藤若冲、円山応挙など個性きらめく画家たちが活躍した江戸時代中期に中国の山水画を手本に独自の画風を切り開いた池大雅。成長のきっかけとなったのが旅。その中で西洋絵画を見る機会があり、それを自分の表現に取り込んだ。
○ 大雅が即興で指や爪を使って描いたという指墨画。番組では今回、指墨画の再現に挑戦し、その類いまれな技が明らかになった。晩年の悠々自適な暮らしを描いた国宝の傑作も紹介する。
○ 池大雅は苦労を苦労とせず、不便を不便とせず人生を楽しんだ画家であった。私には学ぶ所が多い。

4月29日お早うございます。皆様のご健康を祈ります。千葉市は晴れ、気温は24℃です。散歩道で見た菖蒲です。

4月29日お早うございます。皆様のご健康を祈ります。千葉市は晴れ、気温は24℃です。散歩道で見た菖蒲です。

「義経伝説と為朝伝説 原田信男」を読む。 ○ 伝説においては、歴史学の大原則ともいうべきテキストクリティック(史料批判)は必要とされない。資料の一部が切り取られ、都合よく解釈されて、伝説に信ぴょう性を与えるための材料とされる。 ○ 柳田国男の言を借りれば、伝説とは本質的に「人間の想像力に根を差した以上は自由にまた美しく成長せねばならなかった」史実そのものではなくても、それを語り続ける人々が、歴史にどのような関心を抱いていたかを、雄弁に物語る素材となりうるだろう。 ○ 歴史に名をのこす英雄、源義経とその叔父源為朝。だが確実な史料は少なく、膨大な「英雄伝説」のみが流布する。とくに義経伝説は主に北海道へ、為朝伝説は琉球へと広まり、彼らの像は大陸の覇者や王朝の始祖的存在へと飛躍を遂げる。 ○ 歴史上の義経は奥州平泉で藤原泰衡と戦い自刃した。しかし伝説の義経は北海道にまで行く事になっている。民衆の願望は更に膨らみ義経は蒙古に渡り成吉思汗(チンギスカン)になる。 ○ 北海道沙流郡平取町に義経神社があり祭神は源義経である。私は実際この義経神社を訪れました。 ○ 歴史上の為朝は伊豆大島で伊豆守工藤光の大軍と戦い自刃した。しかし為朝伝説では伊豆七島を征服し、更に琉球に渡り琉球王の祖となった事になっている。

「義経伝説と為朝伝説 原田信男」を読む。
○ 伝説においては、歴史学の大原則ともいうべきテキストクリティック(史料批判)は必要とされない。資料の一部が切り取られ、都合よく解釈されて、伝説に信ぴょう性を与えるための材料とされる。
○ 柳田国男の言を借りれば、伝説とは本質的に「人間の想像力に根を差した以上は自由にまた美しく成長せねばならなかった」史実そのものではなくても、それを語り続ける人々が、歴史にどのような関心を抱いていたかを、雄弁に物語る素材となりうるだろう。
○ 歴史に名をのこす英雄、源義経とその叔父源為朝。だが確実な史料は少なく、膨大な「英雄伝説」のみが流布する。とくに義経伝説は主に北海道へ、為朝伝説は琉球へと広まり、彼らの像は大陸の覇者や王朝の始祖的存在へと飛躍を遂げる。
○ 歴史上の義経は奥州平泉で藤原泰衡と戦い自刃した。しかし伝説の義経は北海道にまで行く事になっている。民衆の願望は更に膨らみ義経は蒙古に渡り成吉思汗(チンギスカン)になる。
○ 北海道沙流郡平取町に義経神社があり祭神は源義経である。私は実際この義経神社を訪れました。
○ 歴史上の為朝は伊豆大島で伊豆守工藤光の大軍と戦い自刃した。しかし為朝伝説では伊豆七島を征服し、更に琉球に渡り琉球王の祖となった事になっている。

4月29日お早うございます。皆様のご健康を祈ります。今日は晴れ気温は24℃です。 絵手紙の近所に咲いていた可愛いい「チロリアンランプ」と佐渡土産「笹団子」です。

4月29日お早うございます。皆様のご健康を祈ります。今日は晴れ気温は24℃です。
絵手紙の近所に咲いていた可愛いい「チロリアンランプ」と佐渡土産「笹団子」です。

2018年4月28日土曜日

「青踏の時代ー平塚らいてうと新しい女たちー 堀場清子」を読む。 ○ 「元始女性は太陽であった」。日本の近代における女性の目ざめを高らかに宣言した雑誌『青鞜』は平塚らいてうらの手によって1911年創刊された。 『青鞜』は文学史的には大きな役割は果たさなかったが、婦人問題を世に印象づけた意義は大きい。 ○ 平塚らいてう等は機関誌『青鞜』を発行し、婦人解放運動を精力的に展開した。文学的思想啓蒙運動団体であった。青鞜社は1916年に解散した。 ○ 青鞜社は家制度への反逆、良妻賢母主義との対決を通して、自我を追求し、愛と性の自由を徹底的に求め実践した「新しい女」たちの群像。それは時代をこえて真摯な生の探求を呼びかけてやまない思想であった。 ○ 明治末の日本では、良妻賢母が女性の道だった。選挙権はなかった。治安警察法は女性の政治活動を禁じていた。欧米ではフェミニズムが叫ばれ、それが日本にも伝えられていた。 ○ 『青鞜』の名は、生田長江がつけた。"Bluestocking"の和訳である。 ブルーストッキングは、18世紀にロンドンでシルクのフォーマルな黒い靴下ではなく、深い青い色の毛糸の長靴下を身につける事が、教養が高く知性を尊重する婦人達のグループのシンボルとして採用された事からである。

「青踏の時代ー平塚らいてうと新しい女たちー 堀場清子」を読む。
○ 「元始女性は太陽であった」。日本の近代における女性の目ざめを高らかに宣言した雑誌『青鞜』は平塚らいてうらの手によって1911年創刊された。
『青鞜』は文学史的には大きな役割は果たさなかったが、婦人問題を世に印象づけた意義は大きい。
○ 平塚らいてう等は機関誌『青鞜』を発行し、婦人解放運動を精力的に展開した。文学的思想啓蒙運動団体であった。青鞜社は1916年に解散した。
○ 青鞜社は家制度への反逆、良妻賢母主義との対決を通して、自我を追求し、愛と性の自由を徹底的に求め実践した「新しい女」たちの群像。それは時代をこえて真摯な生の探求を呼びかけてやまない思想であった。
○ 明治末の日本では、良妻賢母が女性の道だった。選挙権はなかった。治安警察法は女性の政治活動を禁じていた。欧米ではフェミニズムが叫ばれ、それが日本にも伝えられていた。
○ 『青鞜』の名は、生田長江がつけた。"Bluestocking"の和訳である。
ブルーストッキングは、18世紀にロンドンでシルクのフォーマルな黒い靴下ではなく、深い青い色の毛糸の長靴下を身につける事が、教養が高く知性を尊重する婦人達のグループのシンボルとして採用された事からである。

「天下泰平の時代 高埜利彦」を読む。 ○ 戦国時代の戦乱が終息し、文化の花開く泰平の世へ推移する。家綱・綱吉から吉宗を経て家治まで、17世紀半ばからの100年余りを考察する。 ○安定には安定のための仕組みがある。武威重視の価値観を転換する、どのような政策が打ち出されたのか。新田開発や流通網の整備、歌舞伎・相撲などの娯楽の広がり、朝鮮や琉球との往来など、躍動する時代を描く。 ○ 日本史は東アジアの歴史の中で見るべきである。日本国内が天下泰平になったのは、中国大陸での明清交替が落ち着き、安定した秩序がもたらされた1660年代からだった。 ○ 応仁の乱から中国における清王朝の成立まで続いた約200年間の動乱の後、綱吉から家治までの130年間は太平の世が続き、その後、ロシアの根室来航から始まる明治維新から太平洋戦争の敗北から中共の成立まではまた動乱の歴史となる。 したがって、戦後から現在に続く平和もまた歴史上貴重なものである。 ○ 元禄時代は「生類憐れみの令で庶民を苦しめた犬公方」「賄賂をもらう柳沢吉保」という見方だったが、最近、綱吉の再評価が進んでいいる。 生類憐みの令は日本から犬食の風習をなくしただけでなく、野犬が管理されることで捨て子が襲われるような殺伐とした風景も無くした。 綱吉の発した服忌礼も、今の世に、葬式帰りには清めの塩を自分の身体に撒いたりするなど穢れの意識を高め、身近なところです年賀状を遠慮する喪中葉書として残っている。 ○ 質実剛健への復帰を目指して亨保の改革を進めた吉宗はデフレ政策でその後の幕府の衰退を招いたのかもしれない。

「天下泰平の時代 高埜利彦」を読む。

○ 戦国時代の戦乱が終息し、文化の花開く泰平の世へ推移する。家綱・綱吉から吉宗を経て家治まで、17世紀半ばからの100年余りを考察する。
○安定には安定のための仕組みがある。武威重視の価値観を転換する、どのような政策が打ち出されたのか。新田開発や流通網の整備、歌舞伎・相撲などの娯楽の広がり、朝鮮や琉球との往来など、躍動する時代を描く。

○ 日本史は東アジアの歴史の中で見るべきである。日本国内が天下泰平になったのは、中国大陸での明清交替が落ち着き、安定した秩序がもたらされた1660年代からだった。
○ 応仁の乱から中国における清王朝の成立まで続いた約200年間の動乱の後、綱吉から家治までの130年間は太平の世が続き、その後、ロシアの根室来航から始まる明治維新から太平洋戦争の敗北から中共の成立まではまた動乱の歴史となる。
したがって、戦後から現在に続く平和もまた歴史上貴重なものである。
○ 元禄時代は「生類憐れみの令で庶民を苦しめた犬公方」「賄賂をもらう柳沢吉保」という見方だったが、最近、綱吉の再評価が進んでいいる。
生類憐みの令は日本から犬食の風習をなくしただけでなく、野犬が管理されることで捨て子が襲われるような殺伐とした風景も無くした。
綱吉の発した服忌礼も、今の世に、葬式帰りには清めの塩を自分の身体に撒いたりするなど穢れの意識を高め、身近なところです年賀状を遠慮する喪中葉書として残っている。
○ 質実剛健への復帰を目指して亨保の改革を進めた吉宗はデフレ政策でその後の幕府の衰退を招いたのかもしれない。

4月28日BS朝日「壇密の日本美~つながる名作誕生ドラマ」 上野の国立博物館で「日本美~つながる日本美術」展が開催されている。今、空前の日本美術ブームです。 日本美術史上には「名作」と呼ばれる作品が数多く存在します。 それら名作に映し出された「日本の美」は、どのようにして生まれたのでしょうか。 そして私たちはなぜ、美しいと感じるのでしょうか。 この番組では、タレント、女優として多方面で活躍する壇蜜を案内人になり名作誕生のドラマを巡り、「日本の美」の謎を追求します。 ○ 不動の人気を誇る江戸時代の天才絵師、伊藤若冲。その美しさを訪ねて、壇蜜さんが生誕の地の京都へ行く。まず伊藤若冲の青物問屋のあった錦市場を訪問する。次に禅寺、建仁寺両足院(りょうそくいん)に行き座禅を体験する。そこで若冲の鶏図を拝見する。 次に相国寺に行き狩野光信の描いた天井の龍図を拝見する。更に相国寺承天閣美術館で若冲の壁画「葡萄小槿図」「月下芭蕉図」を見る。更に若冲の生前墓に参る。 ○ 若冲が影響を受けた禅の心を壇蜜さんが体感。生涯、鶏を描き続けた若冲が、作品に込めたのは禅の心であろうか。 ○ 次に大阪の道明寺を訪れ菅原道真ゆかりの「十一面観音菩薩立像」を拝見する。 ○ さらに壇蜜が、浮世絵美人画の傑作、菱川師宣の「見返り美人図」の再現に挑戦。 果たして日本女性の美の象徴にどこまで近づけるのでしょうか。

4月28日BS朝日「壇密の日本美~つながる名作誕生ドラマ」
上野の国立博物館で「日本美~つながる日本美術」展が開催されている。今、空前の日本美術ブームです。
日本美術史上には「名作」と呼ばれる作品が数多く存在します。
それら名作に映し出された「日本の美」は、どのようにして生まれたのでしょうか。
そして私たちはなぜ、美しいと感じるのでしょうか。
この番組では、タレント、女優として多方面で活躍する壇蜜を案内人になり名作誕生のドラマを巡り、「日本の美」の謎を追求します。
○ 不動の人気を誇る江戸時代の天才絵師、伊藤若冲。その美しさを訪ねて、壇蜜さんが生誕の地の京都へ行く。まず伊藤若冲の青物問屋のあった錦市場を訪問する。次に禅寺、建仁寺両足院(りょうそくいん)に行き座禅を体験する。そこで若冲の鶏図を拝見する。
次に相国寺に行き狩野光信の描いた天井の龍図を拝見する。更に相国寺承天閣美術館で若冲の壁画「葡萄小槿図」「月下芭蕉図」を見る。更に若冲の生前墓に参る。
○ 若冲が影響を受けた禅の心を壇蜜さんが体感。生涯、鶏を描き続けた若冲が、作品に込めたのは禅の心であろうか。
○ 次に大阪の道明寺を訪れ菅原道真ゆかりの「十一面観音菩薩立像」を拝見する。
○ さらに壇蜜が、浮世絵美人画の傑作、菱川師宣の「見返り美人図」の再現に挑戦。
果たして日本女性の美の象徴にどこまで近づけるのでしょうか。

4月28日、お早うございます。千葉市の天気は晴れ、24℃です。 朝の散歩道の花の写真です。菖蒲とカルフォルニアライラック(紫色の花)

4月28日、お早うございます。千葉市の天気は晴れ、24℃です。
朝の散歩道の花の写真です。菖蒲とカルフォルニアライラック(紫色の花)

2018年4月27日金曜日

「かくれ切支丹 遠藤周作」を読む。 ○ この本で述べる「かくれ切支丹」とは、日本の江戸時代に江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後も、密かに信仰を続けた信者である。 そして強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者である。 ○ 1873年(明治6年)に禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者である。 ○ 現代信仰の自由は保証されている。本来のキリスト教徒であれば教会に所属するはずであるが、彼らは今も「かくれ切支丹」であり続ける。 ○アイリーン美緒子スミスさんが「かくれ切支丹」の実態を写真で紹介する。

「かくれ切支丹 遠藤周作」を読む。
○ この本で述べる「かくれ切支丹」とは、日本の江戸時代に江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後も、密かに信仰を続けた信者である。
そして強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者である。
○ 1873年(明治6年)に禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者である。
○ 現代信仰の自由は保証されている。本来のキリスト教徒であれば教会に所属するはずであるが、彼らは今も「かくれ切支丹」であり続ける。
○アイリーン美緒子スミスさんが「かくれ切支丹」の実態を写真で紹介する。

4月27日 千葉市「高洲コミュニティセンター」に鯉幟が元気に青空に泳いでいました。 5月5日は子供の日「端午の節句」ですね。日本が平和であり、子供たちが戦場に行きません様に心から祈ります。私は戦争とは環境を破壊し人を殺める事だと思います。 与謝野晶子の詩を思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 君死にたまふことなかれ      與 謝 野 晶 子 あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ、 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも、 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや、 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。 堺(さかひ)の街のあきびとの 舊家(きうか)をほこるあるじにて 親の名を繼ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ、 旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事ぞ、 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4月27日 千葉市「高洲コミュニティセンター」に鯉幟が元気に青空に泳いでいました。
5月5日は子供の日「端午の節句」ですね。日本が平和であり、子供たちが戦場に行きません様に心から祈ります。私は戦争とは環境を破壊し人を殺める事だと思います。
与謝野晶子の詩を思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
君死にたまふことなかれ      與 謝 野 晶 子
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。
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「カシ二ョール(Jean Pierre Cassigneul)の世界 講談社」画集を見る。 絵手紙サークルの女性から勧められ、千葉市図書館で借りて読む。 ちなみに黒柳徹子さんはカシ二ョールのファンで、黒柳さんは彼の絵のモデルになった事もある。 ○カシ二ョール(1935~)は日本をはじめ世界各地で個展を開催し、年代を問わず、女性からも圧倒的な支持を受けている、現代フランス画壇を代表する人気画家。優雅な雰囲気をかもし出す作品の数々にはコレクターも多い。得意とする女性像は、華やかな色彩で表現され、官能美を感じさせるものがある。 不思議であるがカシ二ョールは最初アメリカ、日本で有名になり、フランスで有名になった。 そう言えば小澤征爾さんも外国で有名になってから故郷の日本で認められた。

「カシ二ョール(Jean Pierre Cassigneul)の世界 講談社」画集を見る。
絵手紙サークルの女性から勧められ、千葉市図書館で借りて読む。
ちなみに黒柳徹子さんはカシ二ョールのファンで、黒柳さんは彼の絵のモデルになった事もある。
○カシ二ョール(1935~)は日本をはじめ世界各地で個展を開催し、年代を問わず、女性からも圧倒的な支持を受けている、現代フランス画壇を代表する人気画家。優雅な雰囲気をかもし出す作品の数々にはコレクターも多い。得意とする女性像は、華やかな色彩で表現され、官能美を感じさせるものがある。
不思議であるがカシ二ョールは最初アメリカ、日本で有名になり、フランスで有名になった。
そう言えば小澤征爾さんも外国で有名になってから故郷の日本で認められた。

4月27日 千葉市は晴れ、曇り、気温は24℃です。 お早うございます。皆様のご健康を祈ります。 朝の散歩は気持ちが良いな。散歩道で薔薇、チロリアンランプ、撫子を見ました。

4月27日 千葉市は晴れ、曇り、気温は24℃です。
お早うございます。皆様のご健康を祈ります。
朝の散歩は気持ちが良いな。散歩道で薔薇、チロリアンランプ、撫子を見ました。

「日本国家の起源 井上光貞」を読む。 ○ 日本国家の起源については、今日なお幾多の解明されるべき問題が残されている。 本書は、これまでの歴史学の成果を検討しながら、日本に唯一の統一組織が成立した時期、その経過を描き、さらに国家統一をうながしたものは何であったかを追求する。 ○「日本に英雄時代はあったか」「国土統一者は征服王朝か」など、本質的な問題に考察を加える。日本は4、5世紀に英雄時代を経験した。 ○ 応仁朝は大規模御陵が造成され、天皇制度の起源んであったとされる。 ○ 前篇が歴史書と史実の検証にとどまるのに対し、後篇は「社会の内部構造」を踏まえ日本の国家の起源についての二つの所論をとりあげる。一つは「階級国家論を前提とした英雄時代論」であり、もう一つは「騎馬民族説」である。

「日本国家の起源 井上光貞」を読む。
○ 日本国家の起源については、今日なお幾多の解明されるべき問題が残されている。
本書は、これまでの歴史学の成果を検討しながら、日本に唯一の統一組織が成立した時期、その経過を描き、さらに国家統一をうながしたものは何であったかを追求する。
○「日本に英雄時代はあったか」「国土統一者は征服王朝か」など、本質的な問題に考察を加える。日本は4、5世紀に英雄時代を経験した。
○ 応仁朝は大規模御陵が造成され、天皇制度の起源んであったとされる。
○ 前篇が歴史書と史実の検証にとどまるのに対し、後篇は「社会の内部構造」を踏まえ日本の国家の起源についての二つの所論をとりあげる。一つは「階級国家論を前提とした英雄時代論」であり、もう一つは「騎馬民族説」である。

ご近所に佐渡出身の方が居られます。佐渡に帰省して笹餅を土産を買ってこられました。 それでお土産に笹餅を頂きました。笹の香りの餅って風雅ですね。ああ美味しかった。

ご近所に佐渡出身の方が居られます。佐渡に帰省して笹餅を土産を買ってこられました。
それでお土産に笹餅を頂きました。笹の香りの餅って風雅ですね。ああ美味しかった。


2018年4月26日木曜日

4月26日NHKBSプレミアム英雄たちの選択選「家康、生涯最悪の決断~“信康事件”の真相に迫る!~」を見る。 ○ 徳川家康は関ヶ原の合戦で三男秀忠率いる別働隊が遅れた時、思わず口にしたという。信康がいたら」と言った。 松平信康(1559~1579)とは家康が切腹させた長男である。 徳川家最大のタブーとなった事件の真相である。 ○ 従来、信康の切腹は、宿敵武田家との内通を疑った織田信長からの命令で行われたとされてきた。 ○ しかし近年の研究で、むしろ徳川家臣団の分裂を避けるための家康自身のやむを得ない選択だったことが分かってきた。 ○ 戦国末期、織田も武田も領土を着々と広げ、間に挟まれた徳川家では生き残りをめぐって意見が割れる。織田の下で生きるか武田と組むか。浜松の家康と岡崎の信康、二人の意見対立は家臣団を巻き込み、父が子を殺す悲劇に至った

4月26日、今日の午後は英語サークルに出席しました。場所は千葉市美浜区「稲浜公民館」です。先生はアメリカ人「Wallery」さんです。公民館のロビーに武蔵坊弁慶の人形が飾ってありました。 あっそうだ端午の節句が近くなりましたね。

4月26日、今日の午後は英語サークルに出席しました。場所は千葉市美浜区「稲浜公民館」です。先生はアメリカ人「Wallery」さんです。公民館のロビーに武蔵坊弁慶の人形が飾ってありました。
あっそうだ端午の節句が近くなりましたね。

4月26日お早うございます。🤗皆様のご健康を祈ります。千葉市は晴れ、気温は24℃です。花を見ながら朝の散歩は楽しい。散歩道で薔薇、紫蘭、菖蒲、チューリップ、カラーの花を見ました。

4月26日お早うございます。🤗皆様のご健康を祈ります。千葉市は晴れ、気温は24℃です。花を見ながら朝の散歩は楽しい。散歩道で薔薇、紫蘭、菖蒲、チューリップ、カラーの花を見ました。

「近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻 山本義隆」を深刻に読む。 ○ 1853年黒船来航がもたらしたエネルギー革命で始まる近代日本は、国主導の科学技術振興による「殖産興業・富国強兵」「高度国防国家建設」「経済成長・国際競争」と国民一丸となった総力戦体制として一五〇年続いた。 ○ 今や日本近代化の歩みに再考を迫る時になった。 明治以来、軍官学の歪んだもたれあいで成り立ってきた「技術大国日本」の神話が、福島第一原子力発電所の事故で「オーバーラン」し、東芝に象徴される電機メーカーの衰退で終焉した。 ○ 国策として推進してきた原子力開発は完全に破綻した。 増殖炉「もんじゅ」は1995年に大事故を繰り返し2016年に廃炉が決定された。総額1兆784億円の浪費であった。 ○ 2011年3月11日の福島原子力発電所に事故は全電源喪失による爆発事故である。 今も原子炉は融解し永久に核放射能を出し続けているのだ。東京電力の発表によると対策の凍土遮水壁については完全に失敗した。 ○ 原子力発電所事故は、今まで人類が経験した事故とは完全に次元が異なるのだ。 ○ 福島の事故は明治以来、国家目的としてきた「国富」の概念の、根底的な転換を迫っているのである。 日本科学史の転換点である今日までをまとめ、今後の日本の科学が向かうべき方向を考察すべきである。

「近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻 山本義隆」を深刻に読む。
○ 1853年黒船来航がもたらしたエネルギー革命で始まる近代日本は、国主導の科学技術振興による「殖産興業・富国強兵」「高度国防国家建設」「経済成長・国際競争」と国民一丸となった総力戦体制として一五〇年続いた。
○ 今や日本近代化の歩みに再考を迫る時になった。
明治以来、軍官学の歪んだもたれあいで成り立ってきた「技術大国日本」の神話が、福島第一原子力発電所の事故で「オーバーラン」し、東芝に象徴される電機メーカーの衰退で終焉した。
○ 国策として推進してきた原子力開発は完全に破綻した。
増殖炉「もんじゅ」は1995年に大事故を繰り返し2016年に廃炉が決定された。総額1兆784億円の浪費であった。
○ 2011年3月11日の福島原子力発電所に事故は全電源喪失による爆発事故である。
今も原子炉は融解し永久に核放射能を出し続けているのだ。東京電力の発表によると対策の凍土遮水壁については完全に失敗した。
○ 原子力発電所事故は、今まで人類が経験した事故とは完全に次元が異なるのだ。
○ 福島の事故は明治以来、国家目的としてきた「国富」の概念の、根底的な転換を迫っているのである。
日本科学史の転換点である今日までをまとめ、今後の日本の科学が向かうべき方向を考察すべきである。

2018年4月25日水曜日

「天皇の肖像 多木浩二」を読む。 ○ 私たち戦前に小学校(国民学校)に入学した者は毎朝奉安殿に安置してある神で在す天皇と皇后の写真(御真影)を拝礼し教育勅語を暗唱した。 この本を読むと身につまされる思いであります。 ○ 封建時代の天皇は京都御所で御簾深く在られ、民衆には疎遠な存在で政治的影響の極めて薄い存在であった。明治新政府は、民衆に見える存在としなければならなっかた。 ○ 明治維新後の近代国家体制確立に向けて、天皇をどう見せるかという「権力の視覚化」は大きな問題だった。天皇は全国を巡幸することで民衆にとって見えるものとなり、さらに御真影がつくられる。理想の近代国家君主の肖像をつくりあげるためにどのような方法がとられたのか。  ○ 明治天皇の「御真影」は写真ではなく肖像画であった。御雇外国人のイタリア人がかキョッソーネが、写真嫌いの天皇をひそかにスケッチして描いた肖像画、それを写真に撮ったものが「御真影」であった。 もし、この事実が一般に知られていたなら「御真影」は成り立たなかっただろう。あの帝王の威厳に満ちた姿は、肖像画の技法を駆使して理想化された日本を統率する大元帥軍人陛下の存在であった。 ○ それは個別の身体ではなく時間を超えた類型的な君主像であったが、民衆はそれを天皇の分身として受け取った。拝礼の対象として物神化されるまでに至ったのは儀礼のシステムによってだが、「御真影」が写真と受け止められたことも大きく与っている。写真という近代の道具が、天皇を神格化するにあたって機能したのは興味深い。 ○ 明治維新になるまでは天皇は宮中深く秘められた存在であった。近代国家の元首として、はたまた国体というフイックションを体現する神聖な存在として民衆の前に天皇はその姿を如現した。 ○ 視覚上の問題として、天皇と民衆の「見る―見られる」という視線が交錯する現場のダイナミズムが本書のテーマである。錦絵、服制、巡幸、御真影などを素材に視線が形成する政治の力学を明らかにしていく著者の方法はユニークであり、もうひとつの近代天皇制の誕生史として読める。

「天皇の肖像 多木浩二」を読む。
○ 私たち戦前に小学校(国民学校)に入学した者は毎朝奉安殿に安置してある神で在す天皇と皇后の写真(御真影)を拝礼し教育勅語を暗唱した。
この本を読むと身につまされる思いであります。
○ 封建時代の天皇は京都御所で御簾深く在られ、民衆には疎遠な存在で政治的影響の極めて薄い存在であった。明治新政府は、民衆に見える存在としなければならなっかた。
○ 明治維新後の近代国家体制確立に向けて、天皇をどう見せるかという「権力の視覚化」は大きな問題だった。天皇は全国を巡幸することで民衆にとって見えるものとなり、さらに御真影がつくられる。理想の近代国家君主の肖像をつくりあげるためにどのような方法がとられたのか。 
○ 明治天皇の「御真影」は写真ではなく肖像画であった。御雇外国人のイタリア人がかキョッソーネが、写真嫌いの天皇をひそかにスケッチして描いた肖像画、それを写真に撮ったものが「御真影」であった。
もし、この事実が一般に知られていたなら「御真影」は成り立たなかっただろう。あの帝王の威厳に満ちた姿は、肖像画の技法を駆使して理想化された日本を統率する大元帥軍人陛下の存在であった。
○ それは個別の身体ではなく時間を超えた類型的な君主像であったが、民衆はそれを天皇の分身として受け取った。拝礼の対象として物神化されるまでに至ったのは儀礼のシステムによってだが、「御真影」が写真と受け止められたことも大きく与っている。写真という近代の道具が、天皇を神格化するにあたって機能したのは興味深い。
○ 明治維新になるまでは天皇は宮中深く秘められた存在であった。近代国家の元首として、はたまた国体というフイックションを体現する神聖な存在として民衆の前に天皇はその姿を如現した。
○ 視覚上の問題として、天皇と民衆の「見る―見られる」という視線が交錯する現場のダイナミズムが本書のテーマである。錦絵、服制、巡幸、御真影などを素材に視線が形成する政治の力学を明らかにしていく著者の方法はユニークであり、もうひとつの近代天皇制の誕生史として読める。