宮川大助・花子、結婚40年 「人生の帳尻おうた(会った)」
今年で結婚40年を迎える夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子。過酷な練習、花子の胃癌、大助の脳出血を乗り越えた。何度もあったピンチを乗り越えて、夫婦ともに歩み続けてきた。
結婚したのは、1976年4月9日。漫才コンビを組んだのはその3年後のこと。相方と別れたが、漫才師としての成功をあきらめきれない大助の求めに花子がこたえた。
「私たちは夫婦の人生の中に漫才があったんです。だから『何かあったら漫才は辞めるよ』って私はいつも言っていました。30年ぐらいは漫才辞めたい、辞めたいの人生でした」女性優位の漫才スタイル。ネタは大助が作るが、舞台で前面にたってしゃべりまくるのは花子だ。競争の厳しい漫才界で生き残るために、大助は鬼になった。稽古、稽古、稽古の日々。娘の子育てを抱えながらの花子はやがて胃がんを患い、大助も体調を崩す。
「漫才さえしなかったら健康でいてただろう、漫才さえしなかったらもっと仲のいい夫婦でいてただろう」と花子。離婚届を突きつけ、大助がそれを破ったこともあったという。「健康を損なうと、お互い思いやりをなくしてしまう」と、大助は生き方を見つめ直した。
2007年2月、今度は大助が脳出血で倒れた。「神様に感謝しました。ああ、俺で良かったと」。夫婦の絆を確かめ、なんとか復帰を果たす。「手が届きそうで届かないところにあるのが、本当の幸せなんですよ……」。これまでの面白さにメッセージ性の加わった漫才が育っていった。「お父さん、花ちゃんの言うことよう聞いときや」。漫才での一番の快感は、客席で見ている女性が夫にそんな風に伝える姿が見える時だという。
2016年3月14日月曜日
宮川大助・花子、結婚40年 「人生の帳尻おうた(会った)」 今年で結婚40年を迎える夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子。過酷な練習、花子の胃癌、大助の脳出血を乗り越えた。何度もあったピンチを乗り越えて、夫婦ともに歩み続けてきた。 結婚したのは、1976年4月9日。漫才コンビを組んだのはその3年後のこと。相方と別れたが、漫才師としての成功をあきらめきれない大助の求めに花子がこたえた。 「私たちは夫婦の人生の中に漫才があったんです。だから『何かあったら漫才は辞めるよ』って私はいつも言っていました。30年ぐらいは漫才辞めたい、辞めたいの人生でした」女性優位の漫才スタイル。ネタは大助が作るが、舞台で前面にたってしゃべりまくるのは花子だ。競争の厳しい漫才界で生き残るために、大助は鬼になった。稽古、稽古、稽古の日々。娘の子育てを抱えながらの花子はやがて胃がんを患い、大助も体調を崩す。 「漫才さえしなかったら健康でいてただろう、漫才さえしなかったらもっと仲のいい夫婦でいてただろう」と花子。離婚届を突きつけ、大助がそれを破ったこともあったという。「健康を損なうと、お互い思いやりをなくしてしまう」と、大助は生き方を見つめ直した。 2007年2月、今度は大助が脳出血で倒れた。「神様に感謝しました。ああ、俺で良かったと」。夫婦の絆を確かめ、なんとか復帰を果たす。「手が届きそうで届かないところにあるのが、本当の幸せなんですよ……」。これまでの面白さにメッセージ性の加わった漫才が育っていった。「お父さん、花ちゃんの言うことよう聞いときや」。漫才での一番の快感は、客席で見ている女性が夫にそんな風に伝える姿が見える時だという。
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