江戸城松の廊下刃傷事件は元禄14(1701)年3月14日だ。討入りは元禄15年12月14日だ。「忠臣蔵」でおなじみの赤穂浪士の討ち入りの舞台となった吉良上野介の屋敷跡(東京都墨田区両国3丁目)を地元・両国の人たちが守り続けている。写真は吉良邸保存会長、岡崎安宏さんです。
○吉良上野介は幕府から勅使接待指導給与は支給されていません。だから賄賂は取っていません。指導授業料は貰ったでしょう。
○ ことの始まりは江戸城の松の廊下。元禄14(1701)年3月14日、上野介は赤穂藩主・浅野内匠頭に斬りつけられて傷を負う。幕府は内匠頭を即日切腹させ、浅野家は取りつぶしに。元禄15年12月14日大石内蔵助ら赤穂浪士47人は、吉良邸に討ち入り、上野介の首をとる。
○ 吉良邸の真っ白ななまこ塀の門をくぐると、内側は10メートル四方の敷地。吉良邸跡保存会の岡崎安宏会長(83)は「屋敷の一角だった場所。吉良邸は本来、この86倍の広さがあったんです」。1934年、売り出されていた民有地を地元の有志が資金を出し合って買ったという。 塀に埋め込まれた絵画や写真の説明書きには、上野介が〈領民と親しく接していた〉などとある。〈襲撃の犠牲者〉として吉良家の家臣20人の名前が刻まれた石碑もあった。
ひときわ存在感を放つのが上野介の座像だ。高さ75センチ。上野介が治めた愛知県西尾市(旧吉良町)に伝わる座像をモデルに、地元町会や保存会などが2010年、340万円をかけてつくった。
2016年3月16日水曜日
江戸城松の廊下刃傷事件は元禄14(1701)年3月14日だ。討入りは元禄15年12月14日だ。「忠臣蔵」でおなじみの赤穂浪士の討ち入りの舞台となった吉良上野介の屋敷跡(東京都墨田区両国3丁目)を地元・両国の人たちが守り続けている。写真は吉良邸保存会長、岡崎安宏さんです。 ○吉良上野介は幕府から勅使接待指導給与は支給されていません。だから賄賂は取っていません。指導授業料は貰ったでしょう。 ○ ことの始まりは江戸城の松の廊下。元禄14(1701)年3月14日、上野介は赤穂藩主・浅野内匠頭に斬りつけられて傷を負う。幕府は内匠頭を即日切腹させ、浅野家は取りつぶしに。元禄15年12月14日大石内蔵助ら赤穂浪士47人は、吉良邸に討ち入り、上野介の首をとる。 ○ 吉良邸の真っ白ななまこ塀の門をくぐると、内側は10メートル四方の敷地。吉良邸跡保存会の岡崎安宏会長(83)は「屋敷の一角だった場所。吉良邸は本来、この86倍の広さがあったんです」。1934年、売り出されていた民有地を地元の有志が資金を出し合って買ったという。 塀に埋め込まれた絵画や写真の説明書きには、上野介が〈領民と親しく接していた〉などとある。〈襲撃の犠牲者〉として吉良家の家臣20人の名前が刻まれた石碑もあった。 ひときわ存在感を放つのが上野介の座像だ。高さ75センチ。上野介が治めた愛知県西尾市(旧吉良町)に伝わる座像をモデルに、地元町会や保存会などが2010年、340万円をかけてつくった。
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