1月5日NHK「知恵泉 日本人初の南極探検」感激。白瀬矗は11歳の夢を50歳まで持ち続けた。
白瀬矗の時世「我れ亡くも必ず捜せ南極の地中乃宝世に出す出すまで」
日本人として初めて南極の地に立った白瀬矗(のぶ)(1861〜1946)。彼が極地探検の夢に目覚めたのは11歳だが、それが実現したのは50歳のときだった。そこに至るまでは苦難の連続。訓練として挑んだ千島探険でのひん死の体験、一番乗りを目指す他国のライバルたちとの競争、渡航費用の絶望的な不足…。なぜ白瀬は幼いころの夢をあきらめることなく、ひたすらに夢に向かって歩み続けることができたのか。まず陸軍軍人となる。そして千島探検に着手する。白瀬の南極探検に政府は資金を出さない。民間人の協力により南極探検に着手する。数多の困難を超え南極に到着き1912年1月28日南緯80度5分に達しその地を「大和雪原」名付ける。
彼の志は後世に引き継がれ日本の探検隊は1968年12月19日遂に南極点足跡を残す。
2016年1月6日水曜日
1月5日NHK「知恵泉 日本人初の南極探検」感激。白瀬矗は11歳の夢を50歳まで持ち続けた。 白瀬矗の時世「我れ亡くも必ず捜せ南極の地中乃宝世に出す出すまで」 日本人として初めて南極の地に立った白瀬矗(のぶ)(1861〜1946)。彼が極地探検の夢に目覚めたのは11歳だが、それが実現したのは50歳のときだった。そこに至るまでは苦難の連続。訓練として挑んだ千島探険でのひん死の体験、一番乗りを目指す他国のライバルたちとの競争、渡航費用の絶望的な不足…。なぜ白瀬は幼いころの夢をあきらめることなく、ひたすらに夢に向かって歩み続けることができたのか。まず陸軍軍人となる。そして千島探検に着手する。白瀬の南極探検に政府は資金を出さない。民間人の協力により南極探検に着手する。数多の困難を超え南極に到着き1912年1月28日南緯80度5分に達しその地を「大和雪原」名付ける。 彼の志は後世に引き継がれ日本の探検隊は1968年12月19日遂に南極点足跡を残す。
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