オメル・エルトゥールさんはトルコ側から光をあてた歴史小説「トルコ軍艦エルトゥールル号の海難」(彩流社)を出版した。
○ 1890年9月、トルコ(オスマン帝国)の軍艦が和歌山県串本町の大島沖で沈没、500人以上の乗員が亡くなった。生存者を懸命に助ける地元住民を描く邦画が公開されて注目される史実に、トルコ側から光をあてた歴史小説「トルコ軍艦エルトゥールル号の海難」(彩流社)を出版した。
○ 当時のスルタン(皇帝)はなぜ遠い日本に軍艦を派遣したのか、どんな意図があったのか。
それはインド・東南アジアのムスリム(イスラム教徒)にイスラム教の盟主・オスマン帝国の国力を誇示したい皇帝・アブデュルハミト2世の意志が働いていようだ。。
○著者はトルコでアラビア文字の史料を読み、乗員の子孫に会った。日本では、串本町や大島を何度も訪れ、語り継がれる救助の様子を聞いた。国際政治と自然の荒波に散った乗員たち。69人を救った住民。大島の岸壁から海を眺めては会話を想像し、6年がかりで書き上げた。
○著者はトルコの高校を中退して渡米、苦学して大学を卒業し、途上国の開発や援助の専門家に。国連職員として東南アジア、中東、アフリカで勤務。退職後はイスタンブールで歴史小説を書き続ける。
海難のドラマは、イラン・イラク戦争時の1985年、空爆下のテヘランから飛行機で日本人を脱出させるトルコ政府の決断を後押しした。「格闘した人の姿を通じて、友情が国を越えて育つことを伝えたかった」。
○著者は医師として大阪で働く日本人の妻を訪れ、今月、東京でも講演した。「日本語の資料が読めたのは妻のおかげ。この本は、実質的には妻との共作です」
2016年2月20日土曜日
オメル・エルトゥールさんはトルコ側から光をあてた歴史小説「トルコ軍艦エルトゥールル号の海難」(彩流社)を出版した。 ○ 1890年9月、トルコ(オスマン帝国)の軍艦が和歌山県串本町の大島沖で沈没、500人以上の乗員が亡くなった。生存者を懸命に助ける地元住民を描く邦画が公開されて注目される史実に、トルコ側から光をあてた歴史小説「トルコ軍艦エルトゥールル号の海難」(彩流社)を出版した。 ○ 当時のスルタン(皇帝)はなぜ遠い日本に軍艦を派遣したのか、どんな意図があったのか。 それはインド・東南アジアのムスリム(イスラム教徒)にイスラム教の盟主・オスマン帝国の国力を誇示したい皇帝・アブデュルハミト2世の意志が働いていようだ。。 ○著者はトルコでアラビア文字の史料を読み、乗員の子孫に会った。日本では、串本町や大島を何度も訪れ、語り継がれる救助の様子を聞いた。国際政治と自然の荒波に散った乗員たち。69人を救った住民。大島の岸壁から海を眺めては会話を想像し、6年がかりで書き上げた。 ○著者はトルコの高校を中退して渡米、苦学して大学を卒業し、途上国の開発や援助の専門家に。国連職員として東南アジア、中東、アフリカで勤務。退職後はイスタンブールで歴史小説を書き続ける。 海難のドラマは、イラン・イラク戦争時の1985年、空爆下のテヘランから飛行機で日本人を脱出させるトルコ政府の決断を後押しした。「格闘した人の姿を通じて、友情が国を越えて育つことを伝えたかった」。 ○著者は医師として大阪で働く日本人の妻を訪れ、今月、東京でも講演した。「日本語の資料が読めたのは妻のおかげ。この本は、実質的には妻との共作です」
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