艦船画の名手上田穀八郎さん追悼展が静岡市「ホビースクエア」で 開催、期間10月1日~9日。遠くで行けないのが残念。私は船舶の絵は好きです。
海洋船舶画家上田穀八郎さんは1920年8月静岡県に生まれる。今年6月の96歳で他界された。
1941年召集され浜松の陸軍高射砲連隊に入営。船舶砲兵として同年3月のジャワ島攻略を皮切りに、アリューシャン作戦、ビルマ作戦などで兵員輸送作戦に従事。ニューギニア、ラングーン、ラバウルなどで乗船が撃沈。1944年11月に輸送船金華丸で米軍機が投下した500キロ爆弾により右肘の関節を失い撃沈されるまで、計26隻の船舶に乗船、そのうち6隻が撃沈。奇跡の生還の後、輸送列車から山一つ隔ててヒロシマのキノコ雲を見る。復員後、利き腕の自由を失いつつも左手で絵筆をとり創作活動を再開。これまでに完成させた絵画は5,000点以上に及ぶ。
2016年10月1日土曜日
艦船画の名手上田穀八郎さん追悼展が静岡市「ホビースクエア」で 開催、期間10月1日~9日。遠くで行けないのが残念。私は船舶の絵は好きです。 海洋船舶画家上田穀八郎さんは1920年8月静岡県に生まれる。今年6月の96歳で他界された。 1941年召集され浜松の陸軍高射砲連隊に入営。船舶砲兵として同年3月のジャワ島攻略を皮切りに、アリューシャン作戦、ビルマ作戦などで兵員輸送作戦に従事。ニューギニア、ラングーン、ラバウルなどで乗船が撃沈。1944年11月に輸送船金華丸で米軍機が投下した500キロ爆弾により右肘の関節を失い撃沈されるまで、計26隻の船舶に乗船、そのうち6隻が撃沈。奇跡の生還の後、輸送列車から山一つ隔ててヒロシマのキノコ雲を見る。復員後、利き腕の自由を失いつつも左手で絵筆をとり創作活動を再開。これまでに完成させた絵画は5,000点以上に及ぶ。
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