「浦上玉堂伝 久保三千雄」を読む。
浦上玉堂(1745~ 1820年)は岡山藩の支藩鴨方藩(現在の岡山県浅口市)の藩邸に生まれる。浦上玉堂は古今和歌集を編纂した「紀貫之」の子孫である。 若年より、学問、詩文、絵画、七絃琴に親しむ。
○ 35歳の時「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得て「玉堂琴士」と号した。
○ 浦上玉堂は有能な上級藩士であった。37歳で鴨方藩の大目付に昇進し職務に精励する。しかし43歳の時、突然役職を解任される。理由は明確でない。
○ 50歳のとき、武士を捨て、2人の子供(春琴と秋琴)を連れて脱藩した。妻はその2年ほど前に亡くなっていた。以後は絵画と七絃琴を友に諸国を放浪、晩年は京都に落ち着いて、文人画家として風流三昧の生活を送る。享年76歳。
○ 60歳以降に佳作が多い。代表作の「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」は国宝で川端康成の愛蔵品として知られる。
○ 参考 千葉市美術館で「浦上玉堂展」が開催される。(期間11月10日~12月18日)お近くの方は鑑賞をお勧めする。
2016年10月10日月曜日
「浦上玉堂伝 久保三千雄」を読む。 浦上玉堂(1745~ 1820年)は岡山藩の支藩鴨方藩(現在の岡山県浅口市)の藩邸に生まれる。浦上玉堂は古今和歌集を編纂した「紀貫之」の子孫である。 若年より、学問、詩文、絵画、七絃琴に親しむ。 ○ 35歳の時「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得て「玉堂琴士」と号した。 ○ 浦上玉堂は有能な上級藩士であった。37歳で鴨方藩の大目付に昇進し職務に精励する。しかし43歳の時、突然役職を解任される。理由は明確でない。 ○ 50歳のとき、武士を捨て、2人の子供(春琴と秋琴)を連れて脱藩した。妻はその2年ほど前に亡くなっていた。以後は絵画と七絃琴を友に諸国を放浪、晩年は京都に落ち着いて、文人画家として風流三昧の生活を送る。享年76歳。 ○ 60歳以降に佳作が多い。代表作の「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」は国宝で川端康成の愛蔵品として知られる。 ○ 参考 千葉市美術館で「浦上玉堂展」が開催される。(期間11月10日~12月18日)お近くの方は鑑賞をお勧めする。
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