12月3日 NHK「 昭和の選択 吉田茂」を見る。
吉田茂は1951年サンフランシスコ講和会議、1952年正式独立に至るまで苦悩した。吉田は敗戦国の首相ながら、ダレス特使、マッカッサー元帥GHQ総司令官と図太い極限の外交交渉を駆使し独立を果たした。時の首相が吉田茂でなければ他の政治家の誰が出来ただろうか。後世の日本人は吉田茂の欠点を言うを慎みむしろ感謝すべきであろう。この交渉結果ダレス特使は帰国の前にアジア、オーストリア、ヨーロッパを歴訪し、日本に対する賠償金放棄を勧告勧した。時代は東西対決冷戦時代で朝鮮選争が勃発した時代であった。
戦後、GHQに占領された日本は、早急に講和を結び、独立を回復する必要に迫られた。しかし、冷戦が激化する中、対日講和問題は日本の安全保障問題と密接にリンクするようになる。アメリカは講和の条件として西側陣営への積極的な軍事貢献を求めてきたのだ。軍備を放棄した日本は、アメリカの要求にどう応えるべきか。時の総理大臣・吉田茂の心は葛藤した。
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