10月6日BS朝日ザ・ドキュメンタリー「藤田まこと~義理人情の浪花節」
テレビ放送受信契約数が1000万を突破した、昭和37年。雨後の竹の子のように、新たな娯楽番組が出現したその時代。
○ 藤田まこと(1933~2010)はコメディーの聖地・大阪から、スターへの階段を駆け上がった。
藤田まことは「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」。テレビ初主演のコメディー時代劇「てなもんや三度笠」で、64%という驚異の視聴率を獲得。時の人気者へと登りつめた。
○ しかし、「てなもんや三度笠」終了とともに、藤田の人生も大きく人気が転落。
出演していた舞台を降板することになる。ドサ周り芸人、キャバレーのステージ回り屈辱の日々だった。
そして出会った「必殺」シリーズの中村主水だ。
○藤田まことは妻の飲食店経営の失敗で30億円の巨額な借金を知る。藤田は休みも無く働き負債を全額返済をした。
その反動からか、2008年4月に検査の結果、食道癌がみつかる。
藤田まことはリハビリに励み「必殺シリーズ」再起を図る。
しかし再び癌再発。享年76歳。
藤田まことの人生は思えば切ない人生であった。
後年、藤田はこんな言葉を残している。「私が演じてみたいのは、人生経験をしながら駄目になっていく男。出世第一主義者より、こういう人生の落後者のような人物の方に、はるかに人間としての魅力があると思うのだ。完全無欠なんて面白くもなんともない。」
2016年10月6日木曜日
10月6日BS朝日ザ・ドキュメンタリー「藤田まこと~義理人情の浪花節」 テレビ放送受信契約数が1000万を突破した、昭和37年。雨後の竹の子のように、新たな娯楽番組が出現したその時代。 ○ 藤田まこと(1933~2010)はコメディーの聖地・大阪から、スターへの階段を駆け上がった。 藤田まことは「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」。テレビ初主演のコメディー時代劇「てなもんや三度笠」で、64%という驚異の視聴率を獲得。時の人気者へと登りつめた。 ○ しかし、「てなもんや三度笠」終了とともに、藤田の人生も大きく人気が転落。 出演していた舞台を降板することになる。ドサ周り芸人、キャバレーのステージ回り屈辱の日々だった。 そして出会った「必殺」シリーズの中村主水だ。 ○藤田まことは妻の飲食店経営の失敗で30億円の巨額な借金を知る。藤田は休みも無く働き負債を全額返済をした。 その反動からか、2008年4月に検査の結果、食道癌がみつかる。 藤田まことはリハビリに励み「必殺シリーズ」再起を図る。 しかし再び癌再発。享年76歳。 藤田まことの人生は思えば切ない人生であった。 後年、藤田はこんな言葉を残している。「私が演じてみたいのは、人生経験をしながら駄目になっていく男。出世第一主義者より、こういう人生の落後者のような人物の方に、はるかに人間としての魅力があると思うのだ。完全無欠なんて面白くもなんともない。」
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