「草の根の軍国主義 佐藤忠男」を読む。
著者は戦争の時代を体験した方だ。傾聴しよう。
昭和史の本当に怖ろしい問題を語る。あの昭和の戦争において、民衆は、指導者層や軍部に操られ踊らされただけだったのだろうか。国民の気分が戦争に突っ走った。その「軍国主義」を支えた庶民の心のありようを問い直す。
○ 著者は14歳で「海軍飛行予科練習生」(予科練)を志望して少年特攻兵になる。その3ヵ月後敗戦となり自爆作戦から生延びる。
○ 私たちは開戦記念日と言うと真珠湾攻撃の12月8日ばかりを思う。
しかし満州事変開始の9月18日、日中戦争(支那事変)開始の盧溝橋事件の7月7日を忘れている。
○ 朝日新聞始め大新聞は「爆弾三勇士」など事実を好戦的に誇大アレンジした戦争記事を連日掲載し国民を戦争に煽りたてた。当時の新聞の謳い文句は「暴支膺懲」だった。
○ 日中戦争は泥沼化した。しかし陸軍の体面で日中戦争から撤退する事は出来なかった。遂に陸軍は破れかぶれで太平洋戦争に突入した。
○ 驚きだ。太平洋戦争開戦時の首相、東條英機大将はアメリカを視察した事がなかった。そして陸軍内の派閥抗争に専念していた。多くの陸軍首脳も同じだ。つまり戦争相手を知らず開戦した。
○ 東條英機首相は「大東亜共栄圏」構想を打上げた。占領地区ではこれを搾取政策と理解された。陸軍は占領地区の指導者に行政権を委ねなかったからだ。
2016年10月8日土曜日
「草の根の軍国主義 佐藤忠男」を読む。 著者は戦争の時代を体験した方だ。傾聴しよう。 昭和史の本当に怖ろしい問題を語る。あの昭和の戦争において、民衆は、指導者層や軍部に操られ踊らされただけだったのだろうか。国民の気分が戦争に突っ走った。その「軍国主義」を支えた庶民の心のありようを問い直す。 ○ 著者は14歳で「海軍飛行予科練習生」(予科練)を志望して少年特攻兵になる。その3ヵ月後敗戦となり自爆作戦から生延びる。 ○ 私たちは開戦記念日と言うと真珠湾攻撃の12月8日ばかりを思う。 しかし満州事変開始の9月18日、日中戦争(支那事変)開始の盧溝橋事件の7月7日を忘れている。 ○ 朝日新聞始め大新聞は「爆弾三勇士」など事実を好戦的に誇大アレンジした戦争記事を連日掲載し国民を戦争に煽りたてた。当時の新聞の謳い文句は「暴支膺懲」だった。 ○ 日中戦争は泥沼化した。しかし陸軍の体面で日中戦争から撤退する事は出来なかった。遂に陸軍は破れかぶれで太平洋戦争に突入した。 ○ 驚きだ。太平洋戦争開戦時の首相、東條英機大将はアメリカを視察した事がなかった。そして陸軍内の派閥抗争に専念していた。多くの陸軍首脳も同じだ。つまり戦争相手を知らず開戦した。 ○ 東條英機首相は「大東亜共栄圏」構想を打上げた。占領地区ではこれを搾取政策と理解された。陸軍は占領地区の指導者に行政権を委ねなかったからだ。
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