凄いぞ大発見。奈良の都にペルシャ人の役人がいた。8世紀の木簡から解読された。
○ 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ学者の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。
○ そのペルシャ人学者は遥かペルシャから駱駝に乗りシルクロードを経由して来日したのだ。彼はペルシャ語は勿論、中国語、日本語に精通していた。唐の玄奘三蔵より遠距離の旅だった。
○ 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。奈良時代は現代の日本より国際的だった。
○ 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。
表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯(はし)」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。
2016年10月5日水曜日
凄いぞ大発見。奈良の都にペルシャ人の役人がいた。8世紀の木簡から解読された。 ○ 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ学者の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。 ○ そのペルシャ人学者は遥かペルシャから駱駝に乗りシルクロードを経由して来日したのだ。彼はペルシャ語は勿論、中国語、日本語に精通していた。唐の玄奘三蔵より遠距離の旅だった。 ○ 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。奈良時代は現代の日本より国際的だった。 ○ 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯(はし)」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。
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