忠臣蔵と俳句と言ったら、大高源吾と其角との両国橋でのやりとりだ。 討入りの前日12月13日、大高源五は煤払いの笹竹売りに変装し両国橋の上に さしかかる。そこで俳句の宗匠其角とばったり出会う。 其角は源五のそのように変わり果てた姿を見て、 「年の瀬や 水の流れと人の身は」 と呼びかけるとそれに応えて源五は 「あしたまたるる その宝船」 と詠み返し、去って行く。 12月14日、翌朝になって赤穂浪士の討ち入りを知り、はじめてその句の 意味がわかったという。
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