2016年12月5日月曜日

12月5日BSTBS「にっぽん歴史鑑定べっぴんさんの真実」を見る。 ほんまに惇子さんは頼り甲斐あるべっぴん(別嬪、別品)さんやな。 ○ 子供服メーカー・ファミリアの創業者・坂野惇子さんは、いかにして皇室御用達のブランドを築いたのか、坂野の仕事観に迫る。 坂野 惇子(ばんのあつこ)(1918~2005)さんは、アパレルメーカー・ファミリア創業者である。彼女のモットーは「希望」「勇気」「信頼」「愛情」であった。 ○ 1940年、佐々木惇子さんは坂野兼通(山口銀行総理事)の子息と結婚し、1943年に長女を出産した。その際に外国人専門の乳幼児看護師から外国式の育児法を教えられる。 第二次世界大戦の進行と共に夫が日本海軍の軍属としてインドネシアに赴任、板野惇子さんも神戸大空襲などもあり、岡山県へ疎開し、そこで終戦を迎えた。 ○ 終戦後、世情が一変し、新円切替を受けた預金封鎖や富裕層への課税などを受けて板野惇子の実家の佐々木家も別荘などを手放すこととなり、惇子さんが生活のあてもなく途方に暮れていた時に、沖縄戦から復員してきた知人の尾上清(後のレナウン社長)から「お嬢さん生活じゃダメだよ。自分の手で働く、一労働者にならんといかんね」と言われ、働きに出ることを決意する。当時女性が働くのは大変な時代だ。 ○ 板野惇子さんは1947年に自宅を使って手芸教室を開く。そして生活費を工面するために自身が所有していたハイヒールを神戸三宮センター街のモトヤ靴店に売却を依頼した処、店主が惇子お手製の刺繍品を目にし、「陳列棚を用意するから、手作業の品物を売ってみませんか」と提案され、お店を開くように言われる。 ○ それを受けて板野惇子さんは女学校時代の友人3人と共同で1948年に「ベビーショップ・モトヤ」を神戸・三宮のモトヤ靴店の一角を利用して開業した。惇子さん30歳の時だ。 ○ 1950年、「良心的な育児用品を、子どもと母親の立場で作りたい」との思いを込めて「ベビーショップ・ファミリア」を創業する。以後もベビー服、子供服を中心に事業を展開、阪急百貨店の協力により梅田本店(大阪)に直営店をオープンした。 ○ また皇太子妃美智子様(現皇后陛下)が1959年に第1子を懐妊された際には宮中より仕度を仰せつかった。 その後も1976年に東京・銀座に子ども百貨店 銀座ファミリアを開店、1986年には経済同友会に入会、1992年にファミリア会長、1998年に名誉会長にそれぞれ就任した。 2005年9月24日、心不全の為に神戸市中央区の病院にて逝去。87歳没。

12月5日BSTBS「にっぽん歴史鑑定べっぴんさんの真実」を見る。
ほんまに惇子さんは頼り甲斐あるべっぴん(別嬪、別品)さんやな。
○ 子供服メーカー・ファミリアの創業者・坂野惇子さんは、いかにして皇室御用達のブランドを築いたのか、坂野の仕事観に迫る。
坂野 惇子(ばんのあつこ)(1918~2005)さんは、アパレルメーカー・ファミリア創業者である。彼女のモットーは「希望」「勇気」「信頼」「愛情」であった。
○ 1940年、佐々木惇子さんは坂野兼通(山口銀行総理事)の子息と結婚し、1943年に長女を出産した。その際に外国人専門の乳幼児看護師から外国式の育児法を教えられる。
第二次世界大戦の進行と共に夫が日本海軍の軍属としてインドネシアに赴任、板野惇子さんも神戸大空襲などもあり、岡山県へ疎開し、そこで終戦を迎えた。
○ 終戦後、世情が一変し、新円切替を受けた預金封鎖や富裕層への課税などを受けて板野惇子の実家の佐々木家も別荘などを手放すこととなり、惇子さんが生活のあてもなく途方に暮れていた時に、沖縄戦から復員してきた知人の尾上清(後のレナウン社長)から「お嬢さん生活じゃダメだよ。自分の手で働く、一労働者にならんといかんね」と言われ、働きに出ることを決意する。当時女性が働くのは大変な時代だ。
○ 板野惇子さんは1947年に自宅を使って手芸教室を開く。そして生活費を工面するために自身が所有していたハイヒールを神戸三宮センター街のモトヤ靴店に売却を依頼した処、店主が惇子お手製の刺繍品を目にし、「陳列棚を用意するから、手作業の品物を売ってみませんか」と提案され、お店を開くように言われる。
○ それを受けて板野惇子さんは女学校時代の友人3人と共同で1948年に「ベビーショップ・モトヤ」を神戸・三宮のモトヤ靴店の一角を利用して開業した。惇子さん30歳の時だ。
○ 1950年、「良心的な育児用品を、子どもと母親の立場で作りたい」との思いを込めて「ベビーショップ・ファミリア」を創業する。以後もベビー服、子供服を中心に事業を展開、阪急百貨店の協力により梅田本店(大阪)に直営店をオープンした。
○ また皇太子妃美智子様(現皇后陛下)が1959年に第1子を懐妊された際には宮中より仕度を仰せつかった。
その後も1976年に東京・銀座に子ども百貨店 銀座ファミリアを開店、1986年には経済同友会に入会、1992年にファミリア会長、1998年に名誉会長にそれぞれ就任した。
2005年9月24日、心不全の為に神戸市中央区の病院にて逝去。87歳没。

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