2016年12月10日土曜日

12月10日テレビ東京「美の巨人東山魁夷が描いた川端康成の思い京の風情」を見る。 「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」。独自の審美眼で知られた文豪、川端康成にこう頼まれたら。  その言葉に突き動かされるように、京都を歩きスケッチを重ねたのが昭和を代表する画家、東山魁夷だ。意外と知られていないが、9歳違い(川端が年上)の2人は互いに認め尊敬し合う友人だった。東山が昭和43年に発表した連作「京洛四季」は、響き合う天才と天才の相互作用によって生まれた作品といえる。 東山魁夷は北山杉の森林風景を2枚完成させる  「都のすがた-とどめおかまし」。東山魁夷が京都の四季を描いた画集「京洛四季」(新潮社)に、川端康成はこんな序文を寄せた。今のうちに京都を描いてほしいと頼んだ理由については、こんなふうだ。  「はじめてそれを東山さんに言ったころ、私は京の町を歩きながら、山が見えない、山が見えない、とわれにもなくつぶやきつづけてかなしんでいたものだ」  大阪生まれで京都にも住み名作「古都」を書いた川端にとって、急速な近代化で変貌する町の姿はなげかわしいものだった。東山の絵は昭和30~40年代の京都の姿をしばしとどめてくれるもの、愛する古都へのオマージュとなったに違いない。

12月10日テレビ東京「美の巨人東山魁夷が描いた川端康成の思い京の風情」を見る。
「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」。独自の審美眼で知られた文豪、川端康成にこう頼まれたら。
 その言葉に突き動かされるように、京都を歩きスケッチを重ねたのが昭和を代表する画家、東山魁夷だ。意外と知られていないが、9歳違い(川端が年上)の2人は互いに認め尊敬し合う友人だった。東山が昭和43年に発表した連作「京洛四季」は、響き合う天才と天才の相互作用によって生まれた作品といえる。
東山魁夷は北山杉の森林風景を2枚完成させる
 「都のすがた-とどめおかまし」。東山魁夷が京都の四季を描いた画集「京洛四季」(新潮社)に、川端康成はこんな序文を寄せた。今のうちに京都を描いてほしいと頼んだ理由については、こんなふうだ。
 「はじめてそれを東山さんに言ったころ、私は京の町を歩きながら、山が見えない、山が見えない、とわれにもなくつぶやきつづけてかなしんでいたものだ」
 大阪生まれで京都にも住み名作「古都」を書いた川端にとって、急速な近代化で変貌する町の姿はなげかわしいものだった。東山の絵は昭和30~40年代の京都の姿をしばしとどめてくれるもの、愛する古都へのオマージュとなったに違いない。

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