2016年12月1日木曜日

12月1日BSNHKプレミアム「大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~岩手県普代村の奇跡」を見る。 和村幸得(1909〜 1997)村長については世間に良く知られていなかった。 しかし彼の妥協しない災害対策について学ぶ事が多い。 ○ 2011年3月11日の東日本大震災の大津波で普代村では一人も犠牲者を出さなかった村がある。 それが岩手県三陸海岸沿いの普代村だ。普代村は「奇跡の村」と呼ばれた。その対策の中心人物こそ和村幸得元村長。 ○ 彼は、40年もの歳月をかけ、高さ15.5 m全長205mの防潮堤、水門、湾の中にも防潮堤を作り村の防災対策に心血を注いだ。国、県、村民にまで反対された。反対する地主には強制収用を掛けた。東日本大震災から5年、歴史家磯田道史が普代村を訪れ、和村幸得の選択を検証し、直面する復興の町づくりのヒントを読み解く。 ○ 村長自身の昭和初期の津波の体験や、歴史上の明治の津波の経験などからの歴史上の教訓を現実に起こりうる事としてしっかり踏まえ、戦後村長となり、村人の生命を守るべく強い意志でリーダーシップを発揮し、漁業などの目の前の産業の振興と合わせて、防災も実現させた。東日本大震災の大津波で、その価値が証明された。 「原発再稼働」を言う現在の日本の指導者たちは「現実的」「経済発展」を声高に叫ぶ。将来、最悪の状態が起こる可能性から目をそむけて、場当たり的な事ばかりやっているのではないか。

12月1日BSNHKプレミアム「大津波から村を守れ!~三陸海岸の村長の決断~岩手県普代村の奇跡」を見る。
和村幸得(1909〜 1997)村長については世間に良く知られていなかった。
しかし彼の妥協しない災害対策について学ぶ事が多い。
○ 2011年3月11日の東日本大震災の大津波で普代村では一人も犠牲者を出さなかった村がある。
それが岩手県三陸海岸沿いの普代村だ。普代村は「奇跡の村」と呼ばれた。その対策の中心人物こそ和村幸得元村長。
○ 彼は、40年もの歳月をかけ、高さ15.5 m全長205mの防潮堤、水門、湾の中にも防潮堤を作り村の防災対策に心血を注いだ。国、県、村民にまで反対された。反対する地主には強制収用を掛けた。東日本大震災から5年、歴史家磯田道史が普代村を訪れ、和村幸得の選択を検証し、直面する復興の町づくりのヒントを読み解く。
○ 村長自身の昭和初期の津波の体験や、歴史上の明治の津波の経験などからの歴史上の教訓を現実に起こりうる事としてしっかり踏まえ、戦後村長となり、村人の生命を守るべく強い意志でリーダーシップを発揮し、漁業などの目の前の産業の振興と合わせて、防災も実現させた。東日本大震災の大津波で、その価値が証明された。
「原発再稼働」を言う現在の日本の指導者たちは「現実的」「経済発展」を声高に叫ぶ。将来、最悪の状態が起こる可能性から目をそむけて、場当たり的な事ばかりやっているのではないか。

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