映画監督で脚本家の松山善三(1925〜2017) さんが8月27日午後8時41分、老衰のため死去された。91歳だった。近親者で葬儀を営まれた。心からご冥福を祈る。合掌。
きっと愛妻高峰秀子さんを抱きしめておられだろう。
「二十四の瞳」に主演した俳優の高峰秀子さんと1955年に結婚。2010年に高峰さんが死去するまでおしどり夫婦として知られた。
社会的弱者をヒューマニズムの視点から描いた作品を数多く発表した。ろうあ者同士の夫婦が戦争末期から戦後までを生き抜く「名もなく貧しく美しく」で1961年に監督デビュー。サリドマイド薬害で肢体が不自由に生まれた女性が自ら主演し、明るく生きる姿を描いた劇映画「典子は、今」(1981年)は大きな反響を呼んだ。
神戸市生まれ。岩手医学専門学校(現岩手医大)中退後、1948年、松竹大船撮影所に入社。木下恵介監督の「二十四の瞳」などに助監督として参加された。
1954年から脚本家として活動。小林正樹監督の「人間の條件」シリーズや成瀬巳喜男監督の「乱れる」、豊田四郎監督の「恍惚の人」などを手がけた。脚本が一般公募された1977年の角川映画「人間の証明」(佐藤純弥監督)ではプロの松山さんの脚本が選ばれた。他の監督作品に「母」「虹の橋」など。
2016年9月3日土曜日
映画監督で脚本家の松山善三(1925〜2017) さんが8月27日午後8時41分、老衰のため死去された。91歳だった。近親者で葬儀を営まれた。心からご冥福を祈る。合掌。 きっと愛妻高峰秀子さんを抱きしめておられだろう。 「二十四の瞳」に主演した俳優の高峰秀子さんと1955年に結婚。2010年に高峰さんが死去するまでおしどり夫婦として知られた。 社会的弱者をヒューマニズムの視点から描いた作品を数多く発表した。ろうあ者同士の夫婦が戦争末期から戦後までを生き抜く「名もなく貧しく美しく」で1961年に監督デビュー。サリドマイド薬害で肢体が不自由に生まれた女性が自ら主演し、明るく生きる姿を描いた劇映画「典子は、今」(1981年)は大きな反響を呼んだ。 神戸市生まれ。岩手医学専門学校(現岩手医大)中退後、1948年、松竹大船撮影所に入社。木下恵介監督の「二十四の瞳」などに助監督として参加された。 1954年から脚本家として活動。小林正樹監督の「人間の條件」シリーズや成瀬巳喜男監督の「乱れる」、豊田四郎監督の「恍惚の人」などを手がけた。脚本が一般公募された1977年の角川映画「人間の証明」(佐藤純弥監督)ではプロの松山さんの脚本が選ばれた。他の監督作品に「母」「虹の橋」など。
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