2016年9月2日金曜日

涙ぐましい物語だ。 林家たい平さんが落語家になりたいと打ち明けたときはお父さんは猛反対で、一切口をきいてくれなくなった。実は落語家の道に反対した父が林家たい平さんの後押してくれたんだ。 「一人ぐらい反対してないと、頑張れねえだろう」良い言葉だな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 林家たい平さん。1964年、埼玉県秩父市生まれ。落語家。人気演芸番組「笑点」大喜利メンバー。武蔵野美術大卒業後、1988年林家こん平に入門、2000年真打ち昇進。2010年から同大で客員教授を務める。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー  埼玉県秩父市の自宅で注文紳士服の仕立屋をしていた父は、いつも忙しく働いていました。それでも、年1回くらいは僕たちによそ行きの服を着せて、家族旅行に連れていってくれました。寝ないでお客さんのスーツを仕上げて納めた後、出かけるまでの1時間ほどできょうだい3人のおそろいの洋服をダーッと縫ってくれたこともあります。行きの電車の中で、母が飛び出た糸を切ってくれました。  東京の神田須田町で布やボタンを仕入れる父についていくこともありました。いつも帰りに同じレストランに寄り、ナイフとフォークでハンバーグを食べるのが楽しみでした。  制服も父の仕立てでした。中学の修学旅行前には、専用の詰め襟を作ってくれました。あちこちに小さな隠しポケットがついているんです。お小遣いをしのばせておくためで、お金も入っていました。  そんな子ども思いの父ですが、僕が落語家になりたいと打ち明けたときは猛反対で、一切口をきいてくれなくなりました。中学卒業後にすぐ丁稚(でっち)奉公に出た父は、他人の釜の飯を食う大変さをよく知っていたからです。でも、反対の理由はもう一つありました。だいぶ後に、父がぼそっと言ったんです。「一人ぐらい反対してないと、頑張れねえだろう」って。  師匠こん平に弟子入りするとき、両親とあいさつに行きました。終始無言だった父は最後に座布団を外し、「せがれを日本一の落語家にしてやってください」と深々と頭を下げたんです。それを思い出し、つらいときも耐えることができました。  真打ちになった頃、スーツの仕立てを頼んだんですが、父は「目が悪くなって、もう作れない」。安い紳士服が出回って注文紳士服はあまり売れなくなり、店も直しなどが中心になっていました。もっと早く頼めばよかったと悔やみました。  最近、父の手を何げなくとってみました。父の右手の人さし指は中指側に大きく曲がっているんです。長年布地を強く押さえていた職人の手。僕たちを育ててくれた手。いま、父をとてもいとおしく感じています。  

涙ぐましい物語だ。
林家たい平さんが落語家になりたいと打ち明けたときはお父さんは猛反対で、一切口をきいてくれなくなった。実は落語家の道に反対した父が林家たい平さんの後押してくれたんだ。
「一人ぐらい反対してないと、頑張れねえだろう」良い言葉だな。
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林家たい平さん。1964年、埼玉県秩父市生まれ。落語家。人気演芸番組「笑点」大喜利メンバー。武蔵野美術大卒業後、1988年林家こん平に入門、2000年真打ち昇進。2010年から同大で客員教授を務める。
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 埼玉県秩父市の自宅で注文紳士服の仕立屋をしていた父は、いつも忙しく働いていました。それでも、年1回くらいは僕たちによそ行きの服を着せて、家族旅行に連れていってくれました。寝ないでお客さんのスーツを仕上げて納めた後、出かけるまでの1時間ほどできょうだい3人のおそろいの洋服をダーッと縫ってくれたこともあります。行きの電車の中で、母が飛び出た糸を切ってくれました。
 東京の神田須田町で布やボタンを仕入れる父についていくこともありました。いつも帰りに同じレストランに寄り、ナイフとフォークでハンバーグを食べるのが楽しみでした。
 制服も父の仕立てでした。中学の修学旅行前には、専用の詰め襟を作ってくれました。あちこちに小さな隠しポケットがついているんです。お小遣いをしのばせておくためで、お金も入っていました。
 そんな子ども思いの父ですが、僕が落語家になりたいと打ち明けたときは猛反対で、一切口をきいてくれなくなりました。中学卒業後にすぐ丁稚(でっち)奉公に出た父は、他人の釜の飯を食う大変さをよく知っていたからです。でも、反対の理由はもう一つありました。だいぶ後に、父がぼそっと言ったんです。「一人ぐらい反対してないと、頑張れねえだろう」って。
 師匠こん平に弟子入りするとき、両親とあいさつに行きました。終始無言だった父は最後に座布団を外し、「せがれを日本一の落語家にしてやってください」と深々と頭を下げたんです。それを思い出し、つらいときも耐えることができました。
 真打ちになった頃、スーツの仕立てを頼んだんですが、父は「目が悪くなって、もう作れない」。安い紳士服が出回って注文紳士服はあまり売れなくなり、店も直しなどが中心になっていました。もっと早く頼めばよかったと悔やみました。
 最近、父の手を何げなくとってみました。父の右手の人さし指は中指側に大きく曲がっているんです。長年布地を強く押さえていた職人の手。僕たちを育ててくれた手。いま、父をとてもいとおしく感じています。

 

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