2016年10月3日月曜日

「誤植読本 高橋輝次」を読む。 さまざまな作家、校正者、編集者による誤植をめぐるアンソロジーだ。 活字を拾って組む時代の、音も意味もまったく違うのに、字の姿が似ているゆえ生じた間違いが多かった。だが現代のデジタル入力でも同音異義語などの変換ミスや思いがけない化けによる間違いになる。私たちに警告であるかも知れない。例を挙げて見よう。 「尼僧」→「屁(へ)僧」。 「失敗は成功の基(もと)」→「失敗は成功の墓(はか)」。 「ゆずる心」→「ゆする心」。 「学校のお食事券」→「学校の汚職事件」。 「ある事情」→「ある情事」。 「家庭の事情」→「家庭の情事」。 「警戒警報」→「驚戒警報」。 「鼻を鳴らして」→「鼻を垂らして」。 「窓際の庇(ひさし)」→「窓際の屁(へ)」。 西遊記で「芭蕉扇」→「芭蕉翁」。

「誤植読本 高橋輝次」を読む。
さまざまな作家、校正者、編集者による誤植をめぐるアンソロジーだ。
活字を拾って組む時代の、音も意味もまったく違うのに、字の姿が似ているゆえ生じた間違いが多かった。だが現代のデジタル入力でも同音異義語などの変換ミスや思いがけない化けによる間違いになる。私たちに警告であるかも知れない。例を挙げて見よう。
「尼僧」→「屁(へ)僧」。
「失敗は成功の基(もと)」→「失敗は成功の墓(はか)」。
「ゆずる心」→「ゆする心」。
「学校のお食事券」→「学校の汚職事件」。
「ある事情」→「ある情事」。
「家庭の事情」→「家庭の情事」。
「警戒警報」→「驚戒警報」。
「鼻を鳴らして」→「鼻を垂らして」。
「窓際の庇(ひさし)」→「窓際の屁(へ)」。
西遊記で「芭蕉扇」→「芭蕉翁」。

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