11月9日BS11「古地図で謎解き。黒船来訪~ペリーに立ち向かった3人の武士」
○ 今から約160年前、1853年ペリー率いる巨大な蒸気船の艦隊が日本の海に現れました。
○ 「突然やってきた」と思われている黒船だが幕府は「ペリー来航」を1年前に知ってた。しかし幕府は市民の動揺を恐れ公表しなかった。
1852年7月21日(嘉永5年6月5日)、オランダ商館長のヤン・ドンケル・クルティウスは長崎奉行に「別段風説書」として保存されるを提出した。
そこには、アメリカが日本との条約締結を求めており、そのために艦隊を派遣することが記載されており、中国周辺に有るアメリカ軍艦5隻と、アメリカから派遣される予定の4隻の艦名とともに、司令官がオーリックからペリーに代わったらしいこと、また艦隊は陸戦用の兵士と兵器を搭載しているとの噂があるとも告げていた。出航は4月下旬以降になろうと言われているとも伝えた。
○ ペリーの脅しと渡り合った男とは阿部正弘、江川英龍、林復斎の三人であった。
幕府老中の阿部正弘はアメリカ艦隊と戦争になる事を避けた。
韮山代官の江川英龍はお台場に砲台を作り国防に当たった。
儒者の林復斎は日本を代表しペリーと交渉を行った。ペリーの報告書には林復斎の交渉を讃えている。
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