「乞食路通 風狂の俳諧師 正津勉」を読む。
○ 乞食上がりの経歴故に同門の多くに疎まれながら、卓抜な詩境と才能で芭蕉の寵愛を格別に受けた蕉門の異端児、八十村路通(1649~1738)の生の軌跡を詳らかにする。あわせて句の真実に光をあてる。
○ 路通37歳、芭蕉41歳のときふたりは湖南、膳所の松本(大津市)で出会った。芭蕉は50歳で亡くなったが路通は90歳まで生きたという。
○ 路通は、芭蕉が生涯かばい続けた不肖の弟子である。「奥の細道」むすびの地大垣で登場し、芭蕉を出迎える。じつはこの奥の細道の旅に随行するはずだった弟子である。
この書に路通句126点収録する。
例句
「いねいねと人にいはれつ年の暮 」(いね とは帰れ、去れの意味)
「はづかしき散際見せん遅ざくら」
「うろうろと肥た因果に暑さかな」
「火桶抱いておとがひ臍をかくしける」
「雪の夜は竹馬の跡に我つれよ」
「はつ雪やまづ草履にて隣まで」
「肌のよき石に眠らん花の山」
「芭蕉葉は何になれとや秋の風」
「うるはしき稲の穂並の朝日かな」
「雑煮ぞと引きおこされし旅寝哉」
「はづかしき散際見せん遅ざくら」
○ 俳句は風狂で良いのだ。種田山頭火も尾崎放哉も風狂の俳人であった。
「まっすぐな道でさみしい 種田山頭火」
「入れ物が無い両手で受ける 尾崎放哉」
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