「いわさきちひろ画集」を読みました。
私はいわさきちひろさんの絵を見れば心が安らぎます。きっと純粋な方であったでしょうね。
いわさきちひろ(1918~1974 享年55歳)は、子供の水彩画に代表される画家、絵本作家です。
○ 出版社から絵の輪郭がぼやけているから直せと言われたが、いわさきちひろさんは妥協しなかった。出版社から注文こなく干された時期もあった。いわゆる常識なんて駄目であてになりませんね。
○ 彼女は「子どもの幸せと平和」を願い、原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子どもたちに心を寄せていました。1967年『わたしがちいさかったときに』は稲庭桂子の勧めで、作文集『原爆の子』(岩波書店版 長田新編)と詩集『原子雲の下より』(青木書店版)から抜粋した文にちひろが絵を描いて出版されました。1972年、童画ぐるーぷ車の展覧会に「こども」と題した3枚のタブローを出品。これがきっかけとなって制作された、ベトナム戦争の中での子どもたちを描いた1973年の『戦火のなかの子どもたち』がちひろ最後の絵本となりました。 1973年秋、肝臓癌が見つかり1974年8月8日、原発性肝臓癌のため死去されました。
2018年6月30日土曜日
「いわさきちひろ画集」を読みました。 私はいわさきちひろさんの絵を見れば心が安らぎます。きっと純粋な方であったでしょうね。 いわさきちひろ(1918~1974 享年55歳)は、子供の水彩画に代表される画家、絵本作家です。 ○ 出版社から絵の輪郭がぼやけているから直せと言われたが、いわさきちひろさんは妥協しなかった。出版社から注文こなく干された時期もあった。いわゆる常識なんて駄目であてになりませんね。 ○ 彼女は「子どもの幸せと平和」を願い、原爆やベトナム戦争の中で傷つき死んでいった子どもたちに心を寄せていました。1967年『わたしがちいさかったときに』は稲庭桂子の勧めで、作文集『原爆の子』(岩波書店版 長田新編)と詩集『原子雲の下より』(青木書店版)から抜粋した文にちひろが絵を描いて出版されました。1972年、童画ぐるーぷ車の展覧会に「こども」と題した3枚のタブローを出品。これがきっかけとなって制作された、ベトナム戦争の中での子どもたちを描いた1973年の『戦火のなかの子どもたち』がちひろ最後の絵本となりました。 1973年秋、肝臓癌が見つかり1974年8月8日、原発性肝臓癌のため死去されました。
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