「落日燃ゆ 城山三郎」を読む。
極東国際軍事裁判においてA級戦犯で絞首刑になった、ただ一人の文民、広田弘毅の生涯を語る悲劇の書である。
○ 広田弘毅は右翼団体黒龍会員として占領軍から危険人物とされ印象を悪くしたが、実際は黒龍会員ではなかった。
○ 広田弘毅は極東軍事裁判で天皇の追訴を避ける為、また、太平洋戦争開始時期の首相でなかった。しかし元首相として戦争を回避することができなかった責任を自ら取った。
極東国際軍事裁判は広田弘毅が陸軍と共同謀議(conspiracy)に参加したとし有罪にしたのである。実際は陸軍の暴走を抑えるため苦慮した。
○ 広田弘毅はアメリカを中心とする連合国軍の裁判に一言も言い訳をせずに絞首刑になった。広田弘毅の信条は「自ら計らわない。」であった。
○ また責任のなすりあいで被害者を出したくないという理由などで一言も弁明をせず、死刑を甘受受した。
しかも、戦争を回避することに尽力した人物であるにもかかわらず、絞首刑になった矛盾が存在する。広田弘毅の家族の気持ちを想像するに難くない。
2018年6月27日水曜日
「落日燃ゆ 城山三郎」を読む。 極東国際軍事裁判においてA級戦犯で絞首刑になった、ただ一人の文民、広田弘毅の生涯を語る悲劇の書である。 ○ 広田弘毅は右翼団体黒龍会員として占領軍から危険人物とされ印象を悪くしたが、実際は黒龍会員ではなかった。 ○ 広田弘毅は極東軍事裁判で天皇の追訴を避ける為、また、太平洋戦争開始時期の首相でなかった。しかし元首相として戦争を回避することができなかった責任を自ら取った。 極東国際軍事裁判は広田弘毅が陸軍と共同謀議(conspiracy)に参加したとし有罪にしたのである。実際は陸軍の暴走を抑えるため苦慮した。 ○ 広田弘毅はアメリカを中心とする連合国軍の裁判に一言も言い訳をせずに絞首刑になった。広田弘毅の信条は「自ら計らわない。」であった。 ○ また責任のなすりあいで被害者を出したくないという理由などで一言も弁明をせず、死刑を甘受受した。 しかも、戦争を回避することに尽力した人物であるにもかかわらず、絞首刑になった矛盾が存在する。広田弘毅の家族の気持ちを想像するに難くない。
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