「元老ー近代日本の真の指導者たち 伊藤之雄」を読む。
明治初期(1875年〜1890年)元老院は存在したが華族の老人会の如き無能な存在で帝国議会開設により廃止された。
この書で述べる元老は、慣例的な制度である。体系的に定義されない制度だ。元老制度は1890年代に形成され、1898年に定着した。元老は首相の選定などを行って天皇を補佐した。
元老とされるのは、伊藤博文、山県有朋、黒田清隆、井上馨、松方正義、西郷従道、大山巌、西園寺公望の8人である。
大隈重信は元老になる意欲を示したが、政党色が強く元老になり得なかった。
元老制度は日露戦争前からさまざまな批判にさらされながらも、未熟な政党政治や立憲政治を発展させ守るものとして有効であった。
元老制度は1920年代にはジャーナリズムに批判の対象になった。
1930年代には、最後の元老西園寺公望が、さまざまの老練な政治手法で軍部の台頭を抑えるべく動いたが、最後には力尽きた。元老制度が消滅すると軍部の横暴は止まる事なく太平洋戦争に突入し日本は滅びる。
2016年9月3日土曜日
「元老ー近代日本の真の指導者たち 伊藤之雄」を読む。 明治初期(1875年〜1890年)元老院は存在したが華族の老人会の如き無能な存在で帝国議会開設により廃止された。 この書で述べる元老は、慣例的な制度である。体系的に定義されない制度だ。元老制度は1890年代に形成され、1898年に定着した。元老は首相の選定などを行って天皇を補佐した。 元老とされるのは、伊藤博文、山県有朋、黒田清隆、井上馨、松方正義、西郷従道、大山巌、西園寺公望の8人である。 大隈重信は元老になる意欲を示したが、政党色が強く元老になり得なかった。 元老制度は日露戦争前からさまざまな批判にさらされながらも、未熟な政党政治や立憲政治を発展させ守るものとして有効であった。 元老制度は1920年代にはジャーナリズムに批判の対象になった。 1930年代には、最後の元老西園寺公望が、さまざまの老練な政治手法で軍部の台頭を抑えるべく動いたが、最後には力尽きた。元老制度が消滅すると軍部の横暴は止まる事なく太平洋戦争に突入し日本は滅びる。
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