「歌舞伎五十年私の履歴書 永山武臣」を読む。
役者と舞台の思い出で綴る半生記を語る書である。戦後歌舞伎史の証言である。
私は歌舞伎については知らぬ事が多いので勉強になった。
○ 永山武臣(1925- 2006 享年81歳)さんは松竹社長・会長を務められた。
永山武臣さんの人生そのものが戦後歌舞伎の歴史である。
○ 学習院初等科と高等科を卒業。 京都帝国大学経済学部へ入学し、1948年(昭和23年)3月に京都大学経済学部を卒業した。
○ 大学在学中の1947年に松竹に入社し、東京劇場監事室に配属された。
○ 戦後のGHQの統制下には、一時歌舞伎衰退の危機があったが、歌舞伎復興に成功した。
1951年の東京・歌舞伎座の再開と同時にその監事室に配属され、松竹創業者の一人である大谷竹次郎の下で、同年に上演された「源氏物語」(9代目市川海老蔵(後の11代目市川團十郎)や7代目尾上梅幸、2代目尾上松緑ら)や6代目中村歌右衛門襲名披露興行など第2次世界大戦後初期の歌舞伎の代表的な公演に関わることになった。
○ 1953年(昭和28年)12月に歌舞伎座で上演した「地獄変」(芥川龍之介原作)は、学習院初等科時代からの友人であった三島由紀夫に依頼して歌舞伎化をしたもので、「三島歌舞伎」と呼ばれるものの第1作となった。
○ 歌舞伎の海外上演に早くから取り組み、1960年に第1回の米国公演を行ったのを皮切りに、翌年の1961年にソ連公演を行った。
○ 松竹では、歌舞伎以外でも藤山寛美の喜劇、映画「男はつらいよ」寅さんシリーズは大ヒットとなった。
2018年7月30日月曜日
「歌舞伎五十年私の履歴書 永山武臣」を読む。 役者と舞台の思い出で綴る半生記を語る書である。戦後歌舞伎史の証言である。 私は歌舞伎については知らぬ事が多いので勉強になった。 ○ 永山武臣(1925- 2006 享年81歳)さんは松竹社長・会長を務められた。 永山武臣さんの人生そのものが戦後歌舞伎の歴史である。 ○ 学習院初等科と高等科を卒業。 京都帝国大学経済学部へ入学し、1948年(昭和23年)3月に京都大学経済学部を卒業した。 ○ 大学在学中の1947年に松竹に入社し、東京劇場監事室に配属された。 ○ 戦後のGHQの統制下には、一時歌舞伎衰退の危機があったが、歌舞伎復興に成功した。 1951年の東京・歌舞伎座の再開と同時にその監事室に配属され、松竹創業者の一人である大谷竹次郎の下で、同年に上演された「源氏物語」(9代目市川海老蔵(後の11代目市川團十郎)や7代目尾上梅幸、2代目尾上松緑ら)や6代目中村歌右衛門襲名披露興行など第2次世界大戦後初期の歌舞伎の代表的な公演に関わることになった。 ○ 1953年(昭和28年)12月に歌舞伎座で上演した「地獄変」(芥川龍之介原作)は、学習院初等科時代からの友人であった三島由紀夫に依頼して歌舞伎化をしたもので、「三島歌舞伎」と呼ばれるものの第1作となった。 ○ 歌舞伎の海外上演に早くから取り組み、1960年に第1回の米国公演を行ったのを皮切りに、翌年の1961年にソ連公演を行った。 ○ 松竹では、歌舞伎以外でも藤山寛美の喜劇、映画「男はつらいよ」寅さんシリーズは大ヒットとなった。
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