2018年7月29日日曜日

「昭和史 1926→1945 半藤一利」を読む。 ○ 「昭和史」は、学校では殆ど授業されない。然らば自分で学ぶ必要がある。我々の不十分な「昭和史」の知識を体系づけた理解させる書である。私たちは昭和史の失敗を真摯に学ぶ事がなければ、亦同じ失敗に陥るだろう。 ○ 戦争は大量殺人を前提として成立する。太平洋戦争では約350万人の日本人老若男女が犠牲になった。昭和史を読むと心が痛む。 ○ 日本は1865年に開国し、懸命に富国強兵を進め40年後に近代国家を完成させた。その40年後の1945年に太平洋戦争に敗北し国家は壊滅した。 ○ 昭和は戦争の歴史だが、そのキーはまずは満州(中国東北部)にある。満州は日本国防の最大の防衛線と宣伝され、資源の乏しい日本に魅力の鉄と石炭があり、日本人移民政策の約40~50万人の人口流出先であり、満州の権益を得て拡大していった。日本の失敗は全てここから出発した。 ○ 本来陸海軍を統率する「統帥権」は天皇のみが行使できるものだ。それを陸海軍が欲しいままに乱用し、満州事変、ノモンハン事件、満州事変、支那事変、太平洋戦争へと進んでいった。 ○ 強気一辺倒の軍部と、閉塞感が国を危なくした。陸海軍は困った事は無かった事にしよう。起きない事にしようと考えであった。。 ○ 更に陸軍の昭和4年の張作霖爆殺事件、昭和5年のロンドン軍縮条約に対する海軍軍令部の反対は昭和の戦争への方向への2大事件だ。 そして陸海軍の常套手段「統帥権干犯」と言う自己の主張を持ち出す考え方が確立された。 ○ 二二六事件の眼目は「皇居占拠計画」にあった。 ○ 「ノモンハン事件」で最悪は関東軍参謀の服部卓四郎中佐と辻正信少佐。その後も二人は開戦直前に服部は参謀本部作戦課長、辻は戦力班長で復活した。 ○ 日独伊三国同盟の成立で日本はアメリカを敵に回す事になった。 ○ 「インパール作戦」で最悪は第十五軍牟田口廉也中将とビルマ方面軍河辺正三大将の補給無視の作戦である。 ○ 海軍特攻隊は志願と言う事になっているが、拒否困難な状態に隊員を落とし入れた、半強制であった。 ○ 日本の指導者は既に連合国に協調し敵になったソ連に終戦和平協力を願う。哀れな事だ。 ○ 1945年8月14日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏し8月15日昭和天皇陛下戦争の玉音放送により日本人は戦争が終わった事を知った。 ○ ソ連は終戦後、日本人約57万人を捕虜として拉致しシベリアの極寒の地で強制労働をせ、約10万人が死亡した。

「昭和史 1926→1945 半藤一利」を読む。
○ 「昭和史」は、学校では殆ど授業されない。然らば自分で学ぶ必要がある。我々の不十分な「昭和史」の知識を体系づけた理解させる書である。私たちは昭和史の失敗を真摯に学ぶ事がなければ、亦同じ失敗に陥るだろう。
○ 戦争は大量殺人を前提として成立する。太平洋戦争では約350万人の日本人老若男女が犠牲になった。昭和史を読むと心が痛む。
○ 日本は1865年に開国し、懸命に富国強兵を進め40年後に近代国家を完成させた。その40年後の1945年に太平洋戦争に敗北し国家は壊滅した。
○ 昭和は戦争の歴史だが、そのキーはまずは満州(中国東北部)にある。満州は日本国防の最大の防衛線と宣伝され、資源の乏しい日本に魅力の鉄と石炭があり、日本人移民政策の約40~50万人の人口流出先であり、満州の権益を得て拡大していった。日本の失敗は全てここから出発した。
○ 本来陸海軍を統率する「統帥権」は天皇のみが行使できるものだ。それを陸海軍が欲しいままに乱用し、満州事変、ノモンハン事件、満州事変、支那事変、太平洋戦争へと進んでいった。
○ 強気一辺倒の軍部と、閉塞感が国を危なくした。陸海軍は困った事は無かった事にしよう。起きない事にしようと考えであった。。
○ 更に陸軍の昭和4年の張作霖爆殺事件、昭和5年のロンドン軍縮条約に対する海軍軍令部の反対は昭和の戦争への方向への2大事件だ。
そして陸海軍の常套手段「統帥権干犯」と言う自己の主張を持ち出す考え方が確立された。
○ 二二六事件の眼目は「皇居占拠計画」にあった。
○ 「ノモンハン事件」で最悪は関東軍参謀の服部卓四郎中佐と辻正信少佐。その後も二人は開戦直前に服部は参謀本部作戦課長、辻は戦力班長で復活した。
○ 日独伊三国同盟の成立で日本はアメリカを敵に回す事になった。
○ 「インパール作戦」で最悪は第十五軍牟田口廉也中将とビルマ方面軍河辺正三大将の補給無視の作戦である。
○ 海軍特攻隊は志願と言う事になっているが、拒否困難な状態に隊員を落とし入れた、半強制であった。
○ 日本の指導者は既に連合国に協調し敵になったソ連に終戦和平協力を願う。哀れな事だ。
○ 1945年8月14日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏し8月15日昭和天皇陛下戦争の玉音放送により日本人は戦争が終わった事を知った。
○ ソ連は終戦後、日本人約57万人を捕虜として拉致しシベリアの極寒の地で強制労働をせ、約10万人が死亡した。

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