「権力の驕りに抗して 私の履歴書 J.W.フルブライト」を読む。
○ この本は、フルブライト氏(James William Fulbright, 1905 - 1995 享年89 歳)の日本経済新聞社連載の「私の履歴書」を纏めたもので、フルブライト氏の人生を、概観できる書である。
○ フルブライト氏はアメリカの良心を体現した偉人である。
1946年の「国際教育交換計画」 (フルブライト教育計画 ) の提案者として知られる。
また東南アジア,ベトナム政策をきびしく批判した。
○ フルブライト氏は、フルブライト留学生制度の「生みの親」で、それは、フルブライト氏がローズ奨学生としてイギリスに留学した経験、つまり、他国の言語・文化・歴史を理解し、その国の人間性に触れることが、世界の平和につながるという考えが基礎となっている。 フルブライト氏は国際紛争は話し合いにより解決すべきであるとする。その為には留学制度により、お互いに友人を持つべきだと主張する。
○ 1959年2月以来上院外交委員長でハト派の巨頭としてアメリカの外交政策において正論を主張した。
○ フルブライト氏は1939年にはアーカンソー大学学長に任命されたが、アメリカ合衆国内最年少の学長であった。フルブライト氏はヒトラー独裁ナチスドイツに反対して戦うべきと言った為2年で解雇された。驚くべき事だ。
○ フルブライト氏は国際連合の発案者でもあり、アメリカ第一主義(アメリカファースト)に反対した。
○ また、フルブライト氏は、マッカーシズムと対決し、ベトナム反戦を貫いた。
マッカーシー氏はフルブライト交換学生を共産主義のスパイと攻撃した。実はマッカーシー氏はアルコール中毒であった。
しかし今も他国を批判する所謂愛国者は後を絶たないのは、残念である。
○ フルブライト氏はケネディ大統領に駐日本大使にライシャワー博士を推薦した。
○フルブライト氏は日本が軍事面以外の面で世界に貢献する事を期待した。
2018年7月30日月曜日
「権力の驕りに抗して 私の履歴書 J.W.フルブライト」を読む。 ○ この本は、フルブライト氏(James William Fulbright, 1905 - 1995 享年89 歳)の日本経済新聞社連載の「私の履歴書」を纏めたもので、フルブライト氏の人生を、概観できる書である。 ○ フルブライト氏はアメリカの良心を体現した偉人である。 1946年の「国際教育交換計画」 (フルブライト教育計画 ) の提案者として知られる。 また東南アジア,ベトナム政策をきびしく批判した。 ○ フルブライト氏は、フルブライト留学生制度の「生みの親」で、それは、フルブライト氏がローズ奨学生としてイギリスに留学した経験、つまり、他国の言語・文化・歴史を理解し、その国の人間性に触れることが、世界の平和につながるという考えが基礎となっている。 フルブライト氏は国際紛争は話し合いにより解決すべきであるとする。その為には留学制度により、お互いに友人を持つべきだと主張する。 ○ 1959年2月以来上院外交委員長でハト派の巨頭としてアメリカの外交政策において正論を主張した。 ○ フルブライト氏は1939年にはアーカンソー大学学長に任命されたが、アメリカ合衆国内最年少の学長であった。フルブライト氏はヒトラー独裁ナチスドイツに反対して戦うべきと言った為2年で解雇された。驚くべき事だ。 ○ フルブライト氏は国際連合の発案者でもあり、アメリカ第一主義(アメリカファースト)に反対した。 ○ また、フルブライト氏は、マッカーシズムと対決し、ベトナム反戦を貫いた。 マッカーシー氏はフルブライト交換学生を共産主義のスパイと攻撃した。実はマッカーシー氏はアルコール中毒であった。 しかし今も他国を批判する所謂愛国者は後を絶たないのは、残念である。 ○ フルブライト氏はケネディ大統領に駐日本大使にライシャワー博士を推薦した。 ○フルブライト氏は日本が軍事面以外の面で世界に貢献する事を期待した。
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