2018年7月3日火曜日

「部長の大晩年 城山三郎」を読む。 55歳で三菱製紙高砂工場を定年退職し、その後、俳句と書に傾注し97歳まで生きた永田耕衣(本名軍二)の評伝である。 ○ 永田耕衣(1900 ~1997)は現役中に業務中右腕を機械に巻き込まれ損傷した。 風格のある書も左手で書いていた。体の損傷もバネとして生きたのである。 ○ 永田耕衣の人生は、定年からが本番だった。彼は三菱製紙高砂工場では、ナンバー3の部長にまでなり、会社員としても一応の出世をした。しかし、俳人である永田耕衣には、会社勤めは「つまらん仕事」でしかない。定年を迎えた永田耕衣は、人生の熱意を俳句や書にたっぷり注いで行く。 永田耕衣は退職後42年も生きた。趣味人としてでサラリーマン時代よりも長い時間を、ひたすら趣味に生きた。 ○ 永田耕衣永田は80歳を超えても読書熱が冷めることはなかった。 ○ 要は人生の志の問題であり、彼の生き方は、定年のある職業に就いた人間への模範に思える。 60歳以上の定年老人が急増し、さまざまな指南書が流行しているが、昭和30年代にすでにその手本になるべき人がいたということだ。城山三郎は平成10年にすでに本書を著しており、来るべく大量定年時代への指針を示していたのはないか。 ○ 作品例 夢の世に葱を作りて寂しさよ 朝顔や百たび訪はば母死なむ 後ろにも髪脱け落つる山河かな 泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 死螢に照らしをかける螢かな かたつむりつるめば肉の食い入るや 少年や六十年後の春の如し 白梅や天没地没虚空没

「部長の大晩年 城山三郎」を読む。
55歳で三菱製紙高砂工場を定年退職し、その後、俳句と書に傾注し97歳まで生きた永田耕衣(本名軍二)の評伝である。
○ 永田耕衣(1900 ~1997)は現役中に業務中右腕を機械に巻き込まれ損傷した。
風格のある書も左手で書いていた。体の損傷もバネとして生きたのである。
○ 永田耕衣の人生は、定年からが本番だった。彼は三菱製紙高砂工場では、ナンバー3の部長にまでなり、会社員としても一応の出世をした。しかし、俳人である永田耕衣には、会社勤めは「つまらん仕事」でしかない。定年を迎えた永田耕衣は、人生の熱意を俳句や書にたっぷり注いで行く。
永田耕衣は退職後42年も生きた。趣味人としてでサラリーマン時代よりも長い時間を、ひたすら趣味に生きた。
○ 永田耕衣永田は80歳を超えても読書熱が冷めることはなかった。
○ 要は人生の志の問題であり、彼の生き方は、定年のある職業に就いた人間への模範に思える。
60歳以上の定年老人が急増し、さまざまな指南書が流行しているが、昭和30年代にすでにその手本になるべき人がいたということだ。城山三郎は平成10年にすでに本書を著しており、来るべく大量定年時代への指針を示していたのはないか。
○ 作品例
夢の世に葱を作りて寂しさよ
朝顔や百たび訪はば母死なむ
後ろにも髪脱け落つる山河かな
泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む
死螢に照らしをかける螢かな
かたつむりつるめば肉の食い入るや
少年や六十年後の春の如し
白梅や天没地没虚空没

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