2016年8月14日日曜日

8月13日テレビ東京・美の巨人たち「山口仙之助・正造「富士屋ホテル」を見る。 今回の番組は山口仙之助(1851〜1915)と娘婿の正造(1882〜1944)が建造した「富士屋ホテル」だ。二人は外貨獲得を目指し外国人が喜ぶホテルを建設した。 富士屋ホテルは1878年、東京の奥座敷・箱根に日本初の本格的リゾートとして誕生した。文明開化の時代、ホテルを国づくりの礎にと考え、設計の指針とした仙之助。一方、人を楽しませるのが好きで様々な仕掛けを考案した正造。二人は湯煙の里・箱根を一大観光地へと導いた。 明治11年(1878年)7月15日、日本で始めての本格的なリゾートホテルとして開業しました。 多くの方が、ホテルの名前を聞いて最初に思い浮かぶのが「富士山」でしょう。残念ながら、ホテルから富士山を見ることは出来ません。しかし、富士山が外国人にとっての美の象徴であることを受け、「富士屋ホテル」と名付けられました。 明治16年の宮ノ下大火により、ホテルの原形とともに、6年間の記録も失われました。 しかしその1年後には見事に復興を果たした。 ヘレン・ケラーやチャップリンも宿泊しているほか、第二次世界大戦末期にはドイツやイタリア、満州国、中華民国などの大使館員及び武官なその宿舎としても使用された。また別館にはジョン・レノンとオノ・ヨーコが滞留していたこともあり、ホテル内ツアーで宿泊した部屋を見学することができる。 山口仙之助は箱根の発展に力を注ぎ、私費で道路を開いたり水力発電の会社も立ち上げた。3代目の山口正造は乗合バスの運行もはじめた。山口正造はホテルマンの育成にも力を注ぎ、1930年(昭和5年)富士屋ホテルトレイニングスクールを立ち上げている。このスクールは山口正造の死により途絶えたが、のちに立教大学観光学科設立によりその意志が引き継がれている。

8月13日テレビ東京・美の巨人たち「山口仙之助・正造「富士屋ホテル」を見る。
今回の番組は山口仙之助(1851〜1915)と娘婿の正造(1882〜1944)が建造した「富士屋ホテル」だ。二人は外貨獲得を目指し外国人が喜ぶホテルを建設した。
富士屋ホテルは1878年、東京の奥座敷・箱根に日本初の本格的リゾートとして誕生した。文明開化の時代、ホテルを国づくりの礎にと考え、設計の指針とした仙之助。一方、人を楽しませるのが好きで様々な仕掛けを考案した正造。二人は湯煙の里・箱根を一大観光地へと導いた。
明治11年(1878年)7月15日、日本で始めての本格的なリゾートホテルとして開業しました。
多くの方が、ホテルの名前を聞いて最初に思い浮かぶのが「富士山」でしょう。残念ながら、ホテルから富士山を見ることは出来ません。しかし、富士山が外国人にとっての美の象徴であることを受け、「富士屋ホテル」と名付けられました。
明治16年の宮ノ下大火により、ホテルの原形とともに、6年間の記録も失われました。
しかしその1年後には見事に復興を果たした。
ヘレン・ケラーやチャップリンも宿泊しているほか、第二次世界大戦末期にはドイツやイタリア、満州国、中華民国などの大使館員及び武官なその宿舎としても使用された。また別館にはジョン・レノンとオノ・ヨーコが滞留していたこともあり、ホテル内ツアーで宿泊した部屋を見学することができる。
山口仙之助は箱根の発展に力を注ぎ、私費で道路を開いたり水力発電の会社も立ち上げた。3代目の山口正造は乗合バスの運行もはじめた。山口正造はホテルマンの育成にも力を注ぎ、1930年(昭和5年)富士屋ホテルトレイニングスクールを立ち上げている。このスクールは山口正造の死により途絶えたが、のちに立教大学観光学科設立によりその意志が引き継がれている。

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