2018年9月9日日曜日

「声の力 河合隼雄」を読む。 ○ この書は小樽市の「絵本・児童文学研究センター」主催による、2001年11月11日に行われたシンポジウムを基にして纏められた。 当日、臨床心理学者河合隼雄さんの講演に続き、童謡作家坂田寛雄さんの講演は、バスバリトン歌手池田直樹さんの実演つきで、童謡や、わらべ唄の話、池田直樹さんの独唱、詩人谷口俊太郎さんをコーディネーターとする全員参加のシンポジウムが実施された。 ○ 臨床心理学者河合隼雄さん、童謡作家坂田寛雄さん、詩人谷口俊太郎さん、バスバリトン歌手池田直樹さんの「声の魅力を語るにもっともふさわしい四人が、子ども文化を軸に、「声」、そして「歌」「語り」を縦横に論じる。 現代における声の可能性が再考された。  ○ 著者からのメッセージ 「声と語り」というテーマで、自分の子ども時代を振り返ってみる。  まず言えることは、自分の家族のなかに満ちていた「声と語り」の楽しさ、暖かさ、ということだろう。今日の私を育んでくれた大切な要因だと思う。  両親も、それに男兄弟6人もすべて「お話」好きであった。 夕食のときは、それぞれが「お話」をした。笑って笑って食事ができない、ということもあった。 人の声に耳を傾けながら、その間に適当に自分も「語り」をする。私が今、身につけている「話術」は、子ども時代につくりあげられたものと言っていいだろう。  ところが、家の外は「号令」に満ちていた。 絶対的な正しさ(当時はそう信じられていた)と、強さをもって、号令一下、全員が行動しなくてはならない。 その「号令」も終わりの頃には「怒号」に変わっていた。従わないものは命が危ういのだった。  そのような「声」に従って生き、ときには、それに賛成したり、感激もしたのだが、私の「内なる声」は他のことを語っていた。 ○ 私の「内なる声」は当時の判断によると、極めて臆病ということになる。 「死ぬのは嫌だ」、「殺すのは嫌だ」とそれは言う。 小さい弱い声だが、決してひるむことはない。周囲の人たちの考えといくら異なっていても、自分の「内なる声」に従って生きる姿勢は、子ども時代に基礎をもっていると思う。 その後の私の人生は、それに従って生きているし、大多数の人が「正しい」ということに、まず距離をおいてみる傾向も,子ども時代に身につけたものだろう。  次に、「語り」といえば、まず思いつくのは「昔話」である。 私は子ども時代から「昔話」が大好きだった。西洋に対する強い憧れも、子ども時代に読んだグリムなどの西洋の昔話による影響が大きいだろう。  昔話を「語る」のも大好きで、小学校時代は、そんな点でクラスの人気者であった。  「語り」と「歌」について.語りは心の高揚とともに「歌う」に向かってゆく。 私は子ども時代から「歌」が大好きであった.田舎には珍しく、家には足踏み式のオルガンがあって、母親がオルガンを弾き,家族一同でよく歌を歌った。  人生を「語る」のと、人生を「歌う(謳う)」のとは,ニュアンスが異なる。自分の人生を「内なる声」に従って謳いあげること、それは理想の人生のように思える。あるいは、誰にでも可能な「幸福」の道、とも言うことができる。  「歌う」ことが語られる「昔話」についても言及したい。

「声の力 河合隼雄」を読む。
○ この書は小樽市の「絵本・児童文学研究センター」主催による、2001年11月11日に行われたシンポジウムを基にして纏められた。
当日、臨床心理学者河合隼雄さんの講演に続き、童謡作家坂田寛雄さんの講演は、バスバリトン歌手池田直樹さんの実演つきで、童謡や、わらべ唄の話、池田直樹さんの独唱、詩人谷口俊太郎さんをコーディネーターとする全員参加のシンポジウムが実施された。
○ 臨床心理学者河合隼雄さん、童謡作家坂田寛雄さん、詩人谷口俊太郎さん、バスバリトン歌手池田直樹さんの「声の魅力を語るにもっともふさわしい四人が、子ども文化を軸に、「声」、そして「歌」「語り」を縦横に論じる。
現代における声の可能性が再考された。 
○ 著者からのメッセージ
「声と語り」というテーマで、自分の子ども時代を振り返ってみる。
 まず言えることは、自分の家族のなかに満ちていた「声と語り」の楽しさ、暖かさ、ということだろう。今日の私を育んでくれた大切な要因だと思う。
 両親も、それに男兄弟6人もすべて「お話」好きであった。
夕食のときは、それぞれが「お話」をした。笑って笑って食事ができない、ということもあった。
人の声に耳を傾けながら、その間に適当に自分も「語り」をする。私が今、身につけている「話術」は、子ども時代につくりあげられたものと言っていいだろう。
 ところが、家の外は「号令」に満ちていた。
絶対的な正しさ(当時はそう信じられていた)と、強さをもって、号令一下、全員が行動しなくてはならない。
その「号令」も終わりの頃には「怒号」に変わっていた。従わないものは命が危ういのだった。
 そのような「声」に従って生き、ときには、それに賛成したり、感激もしたのだが、私の「内なる声」は他のことを語っていた。
○ 私の「内なる声」は当時の判断によると、極めて臆病ということになる。
「死ぬのは嫌だ」、「殺すのは嫌だ」とそれは言う。
小さい弱い声だが、決してひるむことはない。周囲の人たちの考えといくら異なっていても、自分の「内なる声」に従って生きる姿勢は、子ども時代に基礎をもっていると思う。
その後の私の人生は、それに従って生きているし、大多数の人が「正しい」ということに、まず距離をおいてみる傾向も,子ども時代に身につけたものだろう。
 次に、「語り」といえば、まず思いつくのは「昔話」である。
私は子ども時代から「昔話」が大好きだった。西洋に対する強い憧れも、子ども時代に読んだグリムなどの西洋の昔話による影響が大きいだろう。
 昔話を「語る」のも大好きで、小学校時代は、そんな点でクラスの人気者であった。
 「語り」と「歌」について.語りは心の高揚とともに「歌う」に向かってゆく。
私は子ども時代から「歌」が大好きであった.田舎には珍しく、家には足踏み式のオルガンがあって、母親がオルガンを弾き,家族一同でよく歌を歌った。
 人生を「語る」のと、人生を「歌う(謳う)」のとは,ニュアンスが異なる。自分の人生を「内なる声」に従って謳いあげること、それは理想の人生のように思える。あるいは、誰にでも可能な「幸福」の道、とも言うことができる。
 「歌う」ことが語られる「昔話」についても言及したい。

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