2015年3月1日日曜日

坂井ローラさん

坂井ローラさん。歌は人生の喜び。感動のニュース。
○祖国ルーマニアで自由に歌うことを禁じられた。だが、来日して美空ひばりの歌を聴き、涙がこぼれるほど感動。歌を再開し、今では病院や老人ホームを慰問する。福岡県宮若市に住むルーマニア出身の主婦坂井ローラ(本名=坂井エレナ・ラゥラ)さん(36)。活動は3年目に入った。
 一度決めたら 二度とは変えぬ これが自分の 生きる道 泣くな迷うな 苦しみ抜いて 人は望(のぞ)みを はたすのさ
 2月上旬、宮若市の安倍病院であったステージ。ローラさんが歌う美空ひばりの「人生一路」に、デイサービスの利用者やスタッフら約50人が聴き入った。
 「柔(やわら)」や「おまえに惚(ほ)れた」には、高齢者が口ずさんだり手拍子したり。「歌は永遠に皆さんの心を明るくしてくれる」。ローラさんは聴衆に語った。
独裁政権下、歌は禁止
 ルーマニアで生まれ育ったローラさんは幼少の頃から歌が大好きだった。小学生の時には歌劇団のメンバーに選ばれ、月に数回各地を巡った。
 だが、9歳の時に母から突然「歌は終わったよ」と言われた。理由を尋ねても返事はない。「大統領のせいなの?」と聞くと平手打ちされた。
 当時はチャウシェスク大統領の独裁政権下で、自由に歌うことが禁止された。秘密警察が来て「娘が平和の歌を歌っている。再び歌えば一家の命はない」と脅し、母がとっさに庭に埋めた数枚を除く歌劇団の写真などを破り捨てた。
 ショックを受けたローラさんは自宅のワイン樽(だる)にホースを突っ込んで飲み、自殺を図った。禁止が解けても以前のように歌えなくなった。
 19歳の時にダンサーとして来日。東京のクラブで君彦さん(59)と出会って1999年に結婚し、君彦さんの故郷の宮若市に引っ越した。
 転機は8年前のこと。自宅で本を読んでいた時、テレビから聞いたことがない歌声が耳に入ってきた。
 ひとり酒場で 飲む酒は 別れ涙の 味がする 飲んで棄(す)てたい 面影が 飲めばグラスに また浮かぶ
 美空ひばりの「悲しい酒」。生前の映像が流れていた。歌声に涙がこぼれた。「この人は誰なのか」。君彦さんから、日本を代表する歌手だが、すでに亡くなったと聞いた。
 CDやDVDを買い込んだ。君彦さんに歌詞をひらがなに直してもらい、意味を繰り返し尋ねた。生涯を知るほどに、憧れが強まった。そして歌を練習し、2010年には日本国籍を取得した。
■慰問活動、ステージは100回超
 12年春、知人を通じてローラさんの歌を知った安倍病院のスタッフから「歌が好きなら患者さんの前で歌ってみないか」と誘われた。本番直前まで迷ったが、ひばりの曲を歌うと拍手を受けた。
 活動は口コミなどで広がり、老人ホームや夏祭り、同窓会などに呼ばれるようになった。経験したステージは100回を超える。持ち歌は約40曲だ。

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