2015年1月10日土曜日

宮武外骨

「過激にして愛嬌あり   吉野孝雄」を読む。
赤瀬川原平さんが宮武外骨の研究者であったから興味を持った。
宮武外骨はユーモリストだった。高位高官の大臣、政治家、役人の偽善、欺瞞を茶化し報道した。しかし庶民を痛めつけなかった。偉いぞ。良くやった。
明治34年1月宮武外骨は“過激にして愛嬌ある”雑誌「滑稽新聞」を大阪で創刊した。外骨は、警察官・役人・政治家などの腐敗を暴露し、ユスリ新聞・インチキ広告に筆誅を加え、誌面上で遊びの限りを尽くすといった滑稽趣味をふんだんに盛り込んだ。この雑誌では、本人の入獄二回、関係者の入獄三回、罰金刑十三回、発行停止4回、発行禁止といって華々しい筆禍の歴史を残して、明治41年10月「自殺号」を出してその幕をおろした。

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