新発見「清洲会議直前に織田信雄が羽柴秀吉に宛てた自分の後継者アピールの書状」
中京大(名古屋市)は7日、「本能寺の変」の後の織田信長の後継者を決める「清洲会議」直前に、次男信雄が明智光秀側の残党掃討に当たる羽柴秀吉に「近くに陣地を置きたい」として返事を求める書状を公開した。当時の信雄の行動が分かる史料は少なく、後継者になろうと腐心した様子が分かり貴重という。
清洲会議は1582年6月27日(旧暦)、清洲城(愛知県清須市)に織田家の家臣の秀吉や柴田勝家らが集まり、信長の後継者や領地の再配分を話し合った。結局、信雄ではなく、本能寺の変で信長と共に自害した長男信忠の息子三法師(後の秀信)が後継者に選ばれた。
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