2016年7月8日金曜日

「台湾生まれ日本語育ち 温又柔」を読む。 著者の様に中国語、台湾語、日本語等の多言語の飛び交う家庭は国際的だ。 しかし外国では多言語家庭は驚く事では無い。 著者、温又柔(おんゆうじょ)さんは台湾出身の作家である。1980年台北市生まれ。3歳の頃に家族と日本に来て以来、東京に暮らしている。その生い立ちは日本語で小説を書き始める彼女にとって、いつかは解かねばならない人生の謎だった。  戦時中の日本統治時代、日本語で教育を受けた祖母。台北に中華民国の臨時政府が置かれ、中国語が「国語」とされた両親。そして、台湾語と中国語と日本語を織り交ぜて喋しゃべる両親のもと、日本語で育った「わたし」。「外国語だったかもしれない言語と、母国語のような関係を結んでいる。それが、自分の現実だと認識したとき、わたしは、『わたし』という一人称では、掬すくいきれない数多くのわたしが、自分の内に渦巻いていると感じだした」と彼女は書いている。本書はそのように言語が幾重にも絡み合う環境に育った一人の若者が、自らのアイデンティティを探し求めた格闘の軌跡だ。  幼い頃からの「言葉」を巡る記憶を辿たどり、著者は言語に染み付いた家族、日本、台湾の歴史に触れていく。自分の底に眠る中国語や台湾語を探り、ときに引き裂かれそうになりながらも、前に進もうとする心の有り様が瑞々しい。 日本では外国人の方は「外国人登録証明書」(指紋押捺)が義務付けされていた。 ふと温又柔さんは3歳から日本住んでいる。違和感を思った。  

「台湾生まれ日本語育ち  温又柔」を読む。
著者の様に中国語、台湾語、日本語等の多言語の飛び交う家庭は国際的だ。
しかし外国では多言語家庭は驚く事では無い。
著者、温又柔(おんゆうじょ)さんは台湾出身の作家である。1980年台北市生まれ。3歳の頃に家族と日本に来て以来、東京に暮らしている。その生い立ちは日本語で小説を書き始める彼女にとって、いつかは解かねばならない人生の謎だった。
 戦時中の日本統治時代、日本語で教育を受けた祖母。台北に中華民国の臨時政府が置かれ、中国語が「国語」とされた両親。そして、台湾語と中国語と日本語を織り交ぜて喋しゃべる両親のもと、日本語で育った「わたし」。「外国語だったかもしれない言語と、母国語のような関係を結んでいる。それが、自分の現実だと認識したとき、わたしは、『わたし』という一人称では、掬すくいきれない数多くのわたしが、自分の内に渦巻いていると感じだした」と彼女は書いている。本書はそのように言語が幾重にも絡み合う環境に育った一人の若者が、自らのアイデンティティを探し求めた格闘の軌跡だ。
 幼い頃からの「言葉」を巡る記憶を辿たどり、著者は言語に染み付いた家族、日本、台湾の歴史に触れていく。自分の底に眠る中国語や台湾語を探り、ときに引き裂かれそうになりながらも、前に進もうとする心の有り様が瑞々しい。
日本では外国人の方は「外国人登録証明書」(指紋押捺)が義務付けされていた。
ふと温又柔さんは3歳から日本住んでいる。違和感を思った。

 

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