2016年7月13日水曜日

徳川家康19代家廣氏を護衛し甲賀忍者の子孫が甲賀伊賀越え。これは歴史のロマンだ。 徳川家康最大の危機は、1682年本能寺の変後、堺から本拠地・三河(愛知県)への逃避行。俗に「神君(家康)伊賀越え」と言われ、服部半蔵ら伊賀忍者の活躍がクローズアップされがちだが、近年は甲賀忍者(衆)の貢献度の大きさや、その勢力圏を通過したことから、「神君甲賀伊賀越え」とする見方が注目される。今年は家康の没後四百年。地元の甲賀忍術研究会(辻邦夫会長)はこれを機に甲賀忍者の面目躍如を図ろうと、6月11日、徳川家康から直系19代目の徳川家廣氏を招いて、実際に逃避行のルートをたどるツアーを実施した。当日は甲賀忍者の子孫が徳川家廣氏を「護衛」し、新進気鋭の歴史学者、磯田道史氏も同行した。

徳川家康19代家廣氏を護衛し甲賀忍者の子孫が甲賀伊賀越え。これは歴史のロマンだ。
徳川家康最大の危機は、1682年本能寺の変後、堺から本拠地・三河(愛知県)への逃避行。俗に「神君(家康)伊賀越え」と言われ、服部半蔵ら伊賀忍者の活躍がクローズアップされがちだが、近年は甲賀忍者(衆)の貢献度の大きさや、その勢力圏を通過したことから、「神君甲賀伊賀越え」とする見方が注目される。今年は家康の没後四百年。地元の甲賀忍術研究会(辻邦夫会長)はこれを機に甲賀忍者の面目躍如を図ろうと、6月11日、徳川家康から直系19代目の徳川家廣氏を招いて、実際に逃避行のルートをたどるツアーを実施した。当日は甲賀忍者の子孫が徳川家廣氏を「護衛」し、新進気鋭の歴史学者、磯田道史氏も同行した。

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